ミシシッピー川をさかのぼる、プランテーション・ホーム

ジョージア州のアトランタで、プランテーション・ホームを探したことがあった。アトランタ市の近くにかろうじて数軒、奇跡的に焼失をまぬがれたマディソンの町でもタウン・ハウスのようなプランテーション・ホームが何軒かあっただけだった。しかし、ここニューオリンズからミシシッピー川沿いにさかのぼったあたりには、軒並みというほどではないが、かなりの数が残っているのだ。

ミシシッピー川に面してプランテーション・ホームが点在している。隣の家との間が離れているので、間の一軒がないだけでも、かなり間があいている様な感じがするが、それでもポツポツと何軒も続いている。

最初にこのあたりを訪れたのは、1967年、私が最初にアメリカを旅した時のこと。その時泊まったプランテーションホームのオーナー夫妻が「是非またゆっくり泊まりにいらっしゃい」といってくれたことが、妙に頭に残っていた。その後、ニューヨーク郊外で結婚式を挙げ、新婚旅行の途中でまた立ち寄ったのだ。妻は、フミ台に乗らないとベッドまで届かないような、大きな天蓋つきのベッドで、まるでスカーレット・オハラになった気分だったようだ。

この夫妻、先祖代々の家柄なのかと思ったら、以前はニューオリンズに住んでいたのだそうだ。もともとアンティークの趣味が縁で結婚した二人は、コレクションを収める家を買うことが長年の夢だったのだ。コレクションと同時代で、手頃な大きさ、値段のプランテーション・ホームが売りに出ていたので、ここを自宅にしてしまったのだ。

1855年に建てられたそのプランテーション・ホームは、高床式の「レイズド・コティジ」というスタイル。奥さんは、ここを買ってから改めて大学で美術史を学び、時代考証を重ね、このプランテーションを当時の生活のままに保存しようと努力してきた。そして、この家を自分たちだけで楽しんではもったいないと、一般公開することにしたのだ。この時もアメリカ各地の歴史公園を訪ねまわって研究、最終的にウィリアムズバーグ方式で、当時の人の衣装を着て、建物の由来や家具調度品の説明をすることにしたのだ。

私たちが泊まっている間、昼間、荷物はすべてスーツケースにしまいベッドの下に隠しておく。なにしろこのプランテーション・ホームのマスター・ベッド・ルームに泊めてもらっているのだから、観光でやって来るお客様が到着する前に、その部屋を1855年の世界に戻しておかなければならないのだ。

家の中をうろうろしている訳にもいかず、毎日奥さんの紹介でミシシッピー川に面したプランテーション・ホームを順番に訪ねてまわったのである。

テズクコからミシシッピー川沿いに何軒かさかのぼったところにあるホーマス・プランテーション・ホーム。アメリカを代表するプランテーション・ホームのひとつだ。

テズクコ・プランテーションの「ガゼイボ」。日本語でいえば「あずまや」。

テズクコの正面玄関。右下のドアを入るとアンティーク・ショップになっている。

テズクコ・プランテーション・ホーム(1855年)で一般公開の時間が終り、「フープ・スカート」姿の案内係の人と記念写真。テズクコの奥さんの発案、手作りの衣装だ。

テズクコのマスター・ベッド・ルーム。前の晩と同じようにベッド・メイキングをしておかなければならない。

おなじくテズクコのダイニング・ルーム。10人以上も座れるこの部屋では、連日近所の人を招待して夕食会が開かれる。

農場で採れた農産物をミシシッピー川の堤防に横付けにされた船に積み込むためのグレーン・エレベーターが昔のプランテーション・ホームにとってかわっている。

この地方には、昔から砂糖きびのプランテーションが多かった。シーズン中には取り入れられた「シュガー・ケイン」を砂糖工場へ運ぶトラクターが忙しそうに往復している。

シュガー・ケインの取り入れのシーズンには、製糖工場は24時間フル操業だ。

このテズクコ・プランテーションに代々つかえてきた「ヘビ狩りの名人」の子孫。彼は、いまでも家のまわりの仕事があると、車の修理から庭のそうじまでなんでもやってしまう。

川上側のすぐ隣は、ハルミタージ・プランテーション・ホームだ。建物の裏には当時奴隷が住んでいた小屋や、砂糖キビを煮たにた鍋が残されている。

近所のプランテーション・ホームを訪ねては、食事の時間にはテズクコに帰って来るのが日課になってしまった。昔、キッチンは外にあったが、今は、屋内に作られている。

ボカージ・プランテーションは、昔からのオーナーの子孫が住んでいる。そして彼は、代々このプランテーションにつかえてきた子孫なのだ。

テズクコのダイニング・ルーム。観光客のために、いつもテーブルがセットしてある。

テズココから川沿いに北上すると州都バトンルージュだ。州議事堂の近くでこんな時計を見つけた。

テズクコ・プランテーションの夕方、玄関の前のポーチに出て、ミシシッピーの堤防に落ちる夕日をながめながらバーボンのグラスをかたむけた。

テズクコの数軒隣のプランテーションは、石油化学プラントになってしまった。中東から石油を運んできたタンカーが、ミシシッピー川をさかのぼり、プラントのすぐ前に横付けされる。

ルイジアナ州のミシシッピー河畔では、フランスから伝わったといわれる「ボン・ファイヤー」がクリスマスの行事になっている。クリスマス・イブの晩、ミシシッピー川の堤防の上には、各プランテーションで取り残された砂糖きびがやぐらのように組まれる。陽が落ちると同時に一斉に火がつけられる。ニューオリンズの人が車の列を作って見物に来るのだ。

ミシシッピー川の堤防の上につくられた、ボン・ファイヤー用のやぐら。やぐらの上には小さな小屋まで作られていて、これに火をつけて燃してしまうのだ。

ミシシッピー川のデルタ地帯に住む人にとっては、ミシシッピー川はその生活のすべてだ。彼の日課は、堤防の上をジョギングすること。

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