フランスとスペイン文化の残る町、ニューオリンズ

フランス革命の時に、マリー・アントワネットがニューオリンズまで逃げて来るつもりだったらしい、という話を聞いたことがある。また、その後ナポレオン時代の最後には、ナポレオンもここへ逃げて来るつもりだったらしいのだ。そのための準備も整えていたらしく、その証拠にここには「ナポレオン・ハウス」と呼ばれる建物が存在しているのだ。フランス領ルイジアナ植民地の首都ニューオリンズは当時、ミシシッピー川一帯をその勢力下に治めた大きな都だったのである。

ミシシッピー川に面して碁盤の目状に都市計画されている、現在の「フレンチ・クォーター」と呼ばれる地域は、別名フランス語で「ビュー・カレー」とも呼ばれ、川沿いにちょっとさかのぼれば今でもフランス語しかしゃべれない人がたくさんいる所なのだという。その時はちょっと信じられなかったのだが。その後ルイジアナを訪れた時、ハイウェイから裏道へそれて、ミシシッピー川の堤防沿いに走ったことがあった。そこにあった村に「ヒンメル」という一軒のレストラン兼バーがあり、地元の人の案内で入ってみた。バーのカウンターには大勢の地元の人が集まっており、その人達の会話を聞くとはなしに聞いていると、どうも英語ではないらしく、なにをいっているのかチンプンカンプンなのだ。よく聞くと、ほとんどの人がフランス語で話しているではないか。急にフランス語圏へ入ったようで、不思議な感じだった。

同じような経験を前にも一度したことがあった。ニューヨークからまっすぐ、モントリオール郊外のオートキャンプ場をめざしていた時にアメリカとカナダの国境を越えたことがあった。その途端、英語の標識の他にフランス語の標識が出てきたのだ。この地方のカナダ人は英語もしゃべれるのにわざとフランス語を公用語にしているのではないかと思ったのだが、目的のキャンプ場が見つからず、車を止めて道順を聞こうとして驚いた。こちらが英語で話しかけると、いっしょうけんめい身振り手振りで教えてくれるのだ。本当に全く英語が通じないのだ。

このカナダの東部に入ってきていたフランス系の人々が「アカディアン」と呼ばれていて、それがなまって「ケイジアン」になったらしい。その同じ系列の人々が、五大湖やミシシッピー川でつながっているルイジアナ地方へもやってきて、この地方の代表料理として「ケイジアン料理」を作り上げたのだ。

植民地の時代、フランス人たちは大西洋を横断してメキシコ湾に入り、そこからミシシッピー川河口のデルタ地帯の真ん中を流れるミシシッピー川の本流をさかのぼってきたようだ。そしてまずミシシッピー川に面した小公園、ジャクソン・スクエアへとやってきた。今でも当時の町並みがそのまま残されているジャクソン・スクエアの周囲には、アメリカ最古のアパート式の建物も残され、正面にはセント・ルイス・カテドラルがある。その隣の州立博物館「カビルド」の中には、今でもフランス領当時の様々な文化遺産が数多く残されている。まるで自分たちの文化のバック・グラウンドはフランスであるということを誇っているようだった。

フレンチ・クォーターは、観光都市ニューオリンズの一番大切な歴史的財産というわけで、今でもルイジアナ植民地時代の面影を大切に残そうとしている。

ミシシッピー川に面して、フランスやスペイン式の広場、ジャクソン・スクエアが作られ、そこから周囲に碁盤の目のような町並みが続いているのだ。

フレンチ・クォーターにある高層建築といえば、1794年に建てられたセント・ルイス・カテドラルと、何軒かのホテルで、そのホテルの屋上からの展望はごらんの通りだ。

正面にセント・ルイス・カテドラル、右にカビルド。左にプレスビテリー、手前両側にアメリカ最古のアパート、ポンタルバ・アパートメンツ。

アイアン・レイス・グリリングがあるニューオリンズ様式のアパートから下を眺めれば、1800年代からの馬車が観光客を乗せて走っていた。

これがニューオリンズの代表的な建築様式「アイアン・レイス・グリリング」のある建物だ。郊外の農園に大きな豪邸「プランテーション・ホーム」を持つ農園主も、ニューオリンズの町の中には、「タウン・ハウス」としてこのような建物を持っていたようだ。亜熱帯に近い気候のニューオリンズでは、深い軒で夏の暑さをしのいでいた。

ニューオリンズのフレンチ・クォーターの観光は馬車に乗って回るのが一番だ。この町の町並みは馬車時代に町づくりが行われているので、建物なども馬車からの目線を考えて設計されているのかもしれない。おまけに車の駐車場も少ないので、世界中からやって来る観光客に一番の人気もののようだ。

二階のテラスから観光客を乗せて走り回っている馬車を見るとこうなる。

強い陽射しの日には、馬の目も保護しなければ?

英語で「フレンチ・クォーター」、フランス語「ビュー・カレー」への案内標識。

アフリカからこの地方の砂糖きび農園に大量に連れてこられた黒人奴隷が売買された取引所の跡が、今でもフレンチ・クォーターに残されている。

フランスの観光地にいったみたいに、ジャクソン・スクエアでは似顔絵屋さんが大繁盛。

独立間もないアメリカ合衆国は一代決心をして、1803年に当時のフランスのナポレオン政府から、ルイジアナ植民地を買い取った。ここが、その取り引きの行われた部屋だ。ジャクソン・スクエアに面して建つカビルドの中にある。現在は、ルイジアナ州立博物館になっている。

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