アメリカ50州のなかでもユニークな州のひとつ

ルイジアナ州は、ミシシッピー川河口のデルタ地帯を中心にできた州で、河口の町ニューオリンズは、ルイジアナ植民地時代の首都でもあった。この植民地の歴史は、今日のルイジアナ州に大きな影響を与えている。

アメリカ合衆国が独立をして間もない第三代大統領ジェファーソンの時代に、当時苦境にあったフランスのナポレオンから買い取った土地だ。現在のアメリカ合衆国の東側三分の一程の所に、南北に流れるミシシッピー川がある。この川から西側3分の2程度の土地のうちテキサス、ニューメキシコ、アリゾナ、カリフォルニアといったメキシコにあったスペイン政府の支配地域を除いたほとんどの地域を占める広大な土地だったのである。ルイジアナ州には当時からの伝統や、法律が数多く残っている。例えば、大抵の州では「ステイツ」という「州」の行政単位の次の単位として「カウンティー」という「郡」が存在しているが、ルイジアナ州では「ペリッシュ」、「教区」という意味のキリスト教の区域をあらわす単位を使用している。また、ルイジアナ州の人々にとっては、連邦政府の首都であるワシントンD.C.よりもフランスの首都パリの方が身近に感じるという人も多く、50州のなかでもユニークな州なのだ。

ディキシーランド・ジャズの町、ニューオリンズ

植民地当時、フランス政府の発行した十ドル札には「テン」の代わりに、フランス語で「ディックス」と表示されていた。そしてこのお札の通用していた地域という意味で、この地方のことを「ディキシーランド」と呼ぶようになったのだ。当時このディキシーランド地方は、ヨーロッパへのコットン輸出のために、広大な綿花畑が広がっていた。その綿花畑などの労働力の確保のために、大量の黒人奴隷がアフリカから連れてこられていたのだ。彼らはこのルイジアナ地方に来て奴隷として農場で働いている間も、アフリカ大陸でつちかってきた音感やリズム感は持ち続けていたのだ。

その奴隷としてやってきたアフリカ人のリズム感に、「クレオール」と呼ばれるフランスやスペイン系の人々のハーモニーが混ざりあってジャズが生まれたのだ。最初の内は黒人のお葬式で演奏されたりするだけだったのが、次第に白人にも演奏されるようになって、ディキシーランドジャズが確立されていったのだ。

ある日、わたしの友人、ニューオリンズに住む「ボーン」に、ジャズ演奏の先導で行う、ジャズ・フューネラルという葬式の行列があると誘われ、あわててカメラを二〜三台首にかけて車で行列を追いかけたことがあった。ボーンは写真を取らせて貰えるかわからないが、ジャズ・フェーネラルを取り仕切っている友人にたのんでくるのでちょっと待っていてくれといって彼等のほうへいってしまった。断られたらあきらめてカメラは向けないでくれと言われたのだが、おとなしく車の中で待っているつもりはなかった。貴重なチャンスに一枚もシャッターを押さないで引き下がるわけにはいかない。行列はもうそこまできているではないか。こっそりドアを開けて、隠し撮り用のワイドレンズでこっそりとれば許可なしでも大丈夫だろう、などと考えているところにやっとボーンが帰ってきた。日本から来ている友達のために、やっとの思いでOKをもらってきてくれたのだ。

ニューオリンズのミシシッピー川に面した一角は、今でもフランス領時代そのままに残されている。「フレンチ・クォーター」と呼ばれるその一角の場所の中の「バーボン・ストリート」と呼ばれる通りは、一日中観光客の足が絶えない所。わたしもなぜかニューオリンズを訪ねると、必ず一番先にそこへ行くのだ。いつもと変わらないバーボン・ストリートを見ると不思議と安心するからなのだ。夜になると、バーボン・ストリートから横道に入ったピーター・ストリートへ入った所のプレザベーション・ホールを訪ねて、入り口の「ジェフ」に声を掛け、これもいつもと変わらないジャズの演奏に耳を傾ける。バーボン・ストリートへ戻って二〜三軒はしごをしながらバーボンを何杯か飲んでホテルへ帰る。これがわたしのニューオリンズ初日のお決まりのコースなのだ。

ルイジアナ州の黒人の人口比率は27%にもなり、ニューオリンズのフレンチクォーターを始めとする旧市街は、昔の統治国のフランスの文化と、一時スペイン領になった時代のスペイン文化と、アフリカから黒人奴隷として大量に入ってきたアフリカ文化が融合し、数あるアメリカの州の中でも独特な文化を形成している不思議な所なのである。

プレザベーション・ホールの伝統的なジャズを保存するための演奏。

バーボン・ストリートから横道に入った所にあるプレザベーション・ホール。ここでは本物のディキシーランド・ジャズが演奏されている。特別の許可で撮影させてもらった。

大都市のダウンタウンの中で、夜遅くなっても安心して一人で歩ける貴重な存在のニューオリンズ、フレンチ・クォーターのバーボン・ストリート。

バーボン・ストリートには、ディキシーランド・ジャズを演奏する店が軒をつらねている。一杯づつ飲みながら、何軒もはしごができるのもこの町ならではだ。

アメリカ人にとっても、異国情緒を感じさせてくれる港町。バーボン・ストリートからはジャズの起源ともいえるディキシーランド・ジャズが1日中聞こえてくる。観光客を呼ぶ様々な店が軒をつらねている。

これもバーボン・ストリートのジャズの店。ちょっと座ってバーボンを一杯飲んでジャズを聞き、また次の店へはしごをするのだ。

バーボン・ストリートには実に様々な人が集まってきている。

フランス統治時代やスペイン統治時代の名残を残す遺品も数多く見つけることができる。バーボン・ストリートの標識。

2月に行われるニューオリンズあげてのお祭り「マルディグラ」。そのための変装用のマスクやコスチュームを売る店。

是非一度はマルディグラのお祭りを訪ねてみたいと思っている。これは、その時にかぶるお面だそうだ。町中こんなお面をかぶった人であふれるのだという。

バーボン・ストリートのジャズの店で演奏させてもらえない老ミュージシャンは、バーボン・ストリートの片隅で演奏していた。

これが当時のフランスの10ドル札だ。10を「DIX」と表示されている。この土地が「ディキシーランドと」呼ばれるようになったのはここからきている。

昼間のプレザベーション・ホール。夜になると明りがともりドアが開いてディキシーランドの演奏が始まるのだ。

バーボン・ストリートで何軒もはしごをした店に、昼間またやってきてしまった。

まるですでにマルディグラの準備が始まっているみたいな雰囲気のバーボン・ストリート。

フレンチ・クォーターにはディキシーランド・ジャズの起源とでもいえる歴史的な遺産が今でも残っていた。ジャズ・バンドの先導で棺をかついた人たちが市内を一巡して、ニューオリンズの伝統的な葬式が行われていた。

フレンチ・クォーターの中の、黒人が多く住む住宅街で。

昔、一度だけ見つけた「黒人専用」のモーテル。

全米で平均約10%といわれる黒人の人口の比率がルイジアナ州では、27%あるという。ニューオリンズは、さすがに黒人の数も多く、生活も楽ではなさそうだ。それでも黒人の人々が長い間奴隷として全く何の権利もなかった時代に比べれば、かなりの前進ではある。

それでもバーボン・ストリートに1日中いれば、ジャズの音楽は聞こえて来るし、何か楽しい事もありそうだといっていた。

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