南部を代表する都市、アトランタ

ジョージア州の説明の所でも述べているが、アトランタは、ジョージア州の州都であるが、州最大の都市というよりは、ディープ・サウスを含めたアメリカ南部を代表する首都であるように感じる。

アトランタがこのような大都市に成長したのには、いろいろ複雑な要因があるようである。

例えば、日本から乗換えなしのアトランタ行きの便でアトランタ空港に到着すると、そこからたとえ南部のどんな都市へ行こうと思っていたとしても、同じ空港から発着する便に乗り換えさえすれば、簡単に目的地についてしまうのだ。この便利な乗換えのシステムを「ハブ・システム」と呼ぶのだが、アトランタがこの「ハブ」、すなわち、「車輪の軸」にあたる都市になっており、「リム」すなわち「車輪の枠」に当たる都市には、南部の中小都市のほとんどが含まれているのだ。つまり、南部の人がどこかへ飛行機で旅行をしようと思うと、どこへ行くにしても必ずといってよい程、一旦アトランタまで出てこなければならないようになっているわけだ。このためにアトランタは、ますます南部の政治、経済、文化の中心都市という性格が強くなってきたようだ。

そしてヨットレースの「アメリカス・カップ」の優勝者としても知られる、地元出身のテッド・ターナーが始めた、24時間のケーブル・テレビCNNの成功である。当時の全米のテレビ・ネットワークは、ニューヨークに本拠地をおくNBC、CBS,ABCの三大ネットワークだったが、テレビ・ネットワークの世界が、ケーブル・テレビの時代になるということをいちはやく察したテッド・ターナーは、既存の三大ネットワークからもかなりの人材をヘッド・ハントし、全世界にニュース網のネットワークを構築、本拠地をアトランタにおいて来るべきケーブル・テレビの時代とニュース番組の時代への準備をしていたのだ。

石油ショック以来の世界的なエネルギー問題にもアトランタ発展の秘密がある。冬の間の暖房費などを節約するため、冬の間は零下10度20度にもなる程寒さの厳しい北東部地方で栄えていた産業が続々とこの南部、深南部地方へ移ってくるようになったのだ。当然南部の発言力も強くなってきた。当時ジョージア州知事として、日本を始め様々な地方からの産業の誘致に成功を治め、その実力を認められていたジミー・カーターがアメリカ大統領に選ばれたことにより、知事時代の活躍の場であったアトランタは、数あるアメリカの都市の中でも一段と注目されるようになってきたのだ。また、千年以上も前にアトランタで始まった超優良企業としてアメリカを代表するもののひとつ、コカ・コーラ社の本拠地の町としても知られている。

そして、この急成長のアトランタ市の力を内外にアピールしたのが、1996年のオリンピック開催都市に選ばれたというニュースだ。

アトランタは、つい最近、都市を取り囲む高速道路網の最構築を大々的な工事で終わらせ、さらに空港から市内全域への地下鉄やバスを使った交通網も完成させている。ちょうどそこへ降ってわいたようなオリンピック開催の決定だ。アトランタ市民は今、燃えに燃えているようだ。

数あるアメリカの都市の中でも、急成長をとげているアトランタ市のスカイラインは、毎回訪ねる度に新しいビルが出現しているようだ。

ジョージア州の州都、州議事堂があり、州政府のオフィスがあるアトランタ市のダウンタウンだ。最初にアトランタを訪れた時は、この州議事堂だけが、アトランタのシンボルのように見えた記憶があるが、次第に周囲のビルの間に埋まって行くようだ。

今日のアトランタのシンボル的存在は、世界最高層のホテルでもある、このピーチトリー・センター・ビルだ。

アトランタ市を、ジョージア州の州都、アメリカ南部の中心都市、アメリカ・マスコミの中心都市、などというよりも世界のマスコミの中心都市という位置まで押し上げたCNNテレビの本拠地。

アメリカ中、世界中のニュースがこのアトランタのCNNテレビのコントロール・センターに集められ、24時間のニュース番組として、アメリカ中、世界中に放送されている。

すっかりアトランタの新名所となったCNNの新しい建物。テレビ・スタジオの中を一般公開しているので、観光客は見学ツアーに参加すればよいのだ。

最近、「マルタ」と呼ぶ地下鉄を中心とした新しい交通システムをアトランタ市の主要な部分に完成させている。この交通システムにはアトランタの空港も組み入れられているので、アトランタ市民は、アメリカ中、世界中の主要都市が、自宅やオフィスからも非常に身近に感じられるようになった。

アメリカの地下鉄は治安がよくないといわれるが、このマルタは全くの例外だ。

ダウンタウンから眼と鼻の先にある便利なアトランタ空港。

そもそもアトランタはこの地方の鉄道の町として始まった所だが、その伝統は今日でも様々な交通の中心都市として生きている。それにしても朝夕のラッシュアワーの交通量は大変なものだった。

アトランタのシンボル的存在、ピーチトリー・センター・ビルの最上階の回転レストランからの夜景。この次にくる時はどんな風に変わっているのか楽しみだ。

コカ・コーラ本社もアトランタのシンボル的存在だ。ダウンタウンの一角にあったドラッグ・ストアで始めてコカ・コーラが作られてから100年。今では全世界の清涼飲料水の代表となっている。

コカ・コーラは、パブリシティーや広告、さらにはその商標やデザインをもとにした展開でも世界をリードしてきた会社だ。最近では新装オープンした「アトランタ・アンダーグラウンド」でも全く新しい展開を始めている。

映画『風と共に去りぬ』が封切られた映画の町としての伝統を今に伝えるのは、このフォックス・シアターかもしれない。アメリカ各地に残されているフォックス・シアターの中でも、特に大切に保存されているようだ。

コカ・コーラが100年の歴史の中で発売した品物は、世界中のコレクターの唾えんの的だ。昔のコカ・コーラの瓶。

フォックス・シアターのチケット・ボックスは、それだけでも芸術的価値のあるもののようだ。

文化都市としても最近のアトランタは注目されている。市内の有名校エモリー・カレッジ。

エモリー・カレッジのキャンパスで。

アメリカ一の広大な敷地を持つと言われて有名なアトランタ北郊のローム市にあるベリー・カレッジ。狭い教室にスシズメ、マスプロ授業の日本の学生にとっては、別世界の観がある理想的な環境の大学だ。

アトランタにはこのエモリー・カレッジのほかに、・ジョージア・テック、ジョージア・ステイト。またジョージア州にはアセンズのジョージア大学、メイコンの女子大、ウエズレヤン・カレッジなども有名校として知られている。

最先端の建築でアトランタを代表する、というよりもアメリカを代表するミュージアムとなった市内のハイ・ミュージアム。

現在アトランタでは、ダウンタウンの北のほうに次々と新しい「街」が出現している。南北戦争にその地名が由来するというピーチトリー・バトル地区にある評判の「ヒューストン・レストラン」だ。この他に「レノックス・スクエヤー」、「バックヘッド」地区、「プリメター・センター」、さらには郊外の都市マリエッタへと発展を続けている。

ヒューストン・レストランはいつも席をとるのに大変な程の評判だ。

アトランタの典型的な「DINKS」だったカップル。

ダウンタウンで私が気に入った評判のレストランは「デイリース」。

アトランタの若い人、ビジネス・マンに、人気のあるバーは、1956年にオープンした「マニュエルス・ターバン」だ。

テレビ局だけでなく、最近ではラジオ局でもホットな競争が繰り広げられているアトランタ。音楽を専門に流すラジオ局のビルボード。ダウンタンにて。

人口が急増中のアトランタの台所を受け持つ卸売り市場。一般市民も新鮮な野菜を買うことができるファーマス・マーケットもある。

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