コットンの貿易港で栄たサバンナ
プランテーションで作られた綿花は、南北戦争当時まではヨーロッパへ大量に輸出されていて、かなりの収益をあげていたようだ。このために、当時のジョージア州の経済や文化は、私たちが現在想像する以上にかなり高度なものだった。
ヨーロッパへの綿花の積出港として、大西洋に面したサバンナの港には綿花の取引所があり、また南部一帯から集められてきた綿花を貯蔵する倉庫が立ち並び、その後ろには豪華な邸宅が立ち並ぶ大都市になっていた。サバンナはアメリカの都市の中でも、現存する都市としては始めから都市計画がなされて出来た、最も古い都市なのだという。このためかヨーロッパへの貿易港として大西洋岸にできた都市の中でも、特に繁栄していたようだ。今日のサバンナは、港の前に綿花の倉庫や綿花取引所の建物がコットン貿易華やかかりし当時と同じように残されてる。そして当時からの石畳の舗装道路を車をガタゴトいわせながら住宅街の方へ入っていくと、整然と都市計画がなされた様子がよくわかる。碁盤の目状に港に面してできているので、地図を見ないで町中を自由に走り回れるのが嬉しい。まず眼についたのが、当時のコットン貿易で莫大な利益をあげていた貿易商の家と思われる建物だ。この建物が、民宿というよりは一種のホテル、ヨーロッパなどでは「プチホテル」などと呼ぶホテルになっているのだ。こんなホテルに泊まりサバンナの街を訪ねまわってみると、南北戦争当時の世界の様子が少しは理解できるような気がした。
このホテルのオーナー夫妻にご先祖のコットン貿易の様子をお聞きしたいのですが、と訪ねると、コットン王の子孫ではなく最初は私たちも同じように観光でサバンナを訪ねてきたのですという。当時の人々の生活や家具、調度品に興味を持つようになり、何度も訪ねて来るようになったのだそうだ。
実は、私もサバンナを訪ねるのがこれで四度目だ。この町で見付ける家具、調度品を始めとする骨董品にもだんだん興味を持つようになり、そのうち豪華なコットン貿易商の家でも格安に手に入れば、小さなホテルでも経営して見たい、と思うようになってしまうのではないかと思うほど魅力がいっぱいの町だ。
ちょうど港に、当時活躍していたような帆船が一隻入港していた。バルバネグラ号といい、三本マストの大西洋を何度も横断している木造の帆船だ。現在では、芸術家と称する船長さんの所有になっているが、一度は日本への航海にも出たいと言っていた。
港町というと、世界中どこの港町でも異国情緒を感じさせてくれるから不思議だ。アメリカの中で異国情緒とは、アメリカ文化だけでない、様々な国の文化が混合した文化が感じられる事だと思う。日本の港町、私の住んでいる鎌倉から程近い横浜で、今でも異国情緒を体験差せてくれるのが中華街の中華料理という事になるかもしれない。サバンナも横浜の中華街ならぬサバンナ料理の店の魅力で、四度も訪ねることになったという方が正しいかもしれない。こんなサバンナ料理の店の中でも、店の前には、看板も無ければ表札も無く、昼食時間になると大勢の人がドアの前に行列を作るので、始めてわかるという「ミセス・ウィルクス・ボーディング・ハウス」。昔からの下宿屋の名前がレストランになってしまっているこの店が、私には一番サバンナを感じさせてくれた店だった。
南北戦争後1878年にサバンナに建てられたビクトリアン・スタイル。コットン取引きで財を成した人が建てたもので、「マグノリア・プレイス」と呼ばれる小さなホテルだ。 こちらの建物も、南北戦争後、1868年当時の建物を何軒か廊下で継ぎ合わせて「ガストニアン」という小さなホテルになっている。 「ガストニアン」のオーナー夫妻。骨董趣味で何度もサバンナを訪ねてくるようになり、ちょうど売りに出ていた南北戦争当時の建物を買取り、ホテルにしてしまった。 これは「マグノリア・プレイス」の室内。映画『風と共に去りぬ』のイメージを強く残す建物だ。以前、日本のテレビ番組で、スカーレット・オハラ役の南果歩の撮影に使わせてもらったこともある。 大西洋を横断して、ヨーロッパ諸国とのコットン貿易の港として栄えていたサバンナ港。ちょうど入港していた三本マストのバルバネグラ号に乗せてもらい、港に面して建つ倉庫街の写真を撮らせてもらった。 アメリカで最初の都市計画がなされてできた都市の初期の様子を示す図だ。サバンナ港に合わせて、碁盤の目のように整然と都市計画がなされた様子が分かる。サバンナ市観光局で。 北欧で建造されたこのバルバネグラ号は、南北戦争当時のヨーロッパとのコットン貿易の華やかなりし頃の様子を伝える貴重な存在だ。 当時と同じように帆をはったり、たたんだり。大西洋の風をじょうずに帆に受ければ、以外と早く大西洋も横断できるのだそうだ。 バルバネグラ号のオーナー。アメリカ国内の港だけでなく、日本の港へもぜひ一度出かけてみたいと熱っぽく語ってくれた。 ジョージア州の沖合いは、エビ漁の盛んな漁場のひとつでもある。サバンナから南へ行った小さな漁村で。 サバンナの市内観光はこのような馬車に乗ってひとまわりすると、スピードがちょうど良く、車だと素通りしてしまうような細かいものまでよく見える。 昔コットンを貯蔵していた倉庫街。港町サバンナのシンボルのような存在で、保存に力をいれている。ちょうど日本車のマツダ「サバンナ」がこんな倉庫街に駐車していた。 当時からの石畳の舗装を市内で見つけることができる。こんな舗装の上をガタゴトと車で走ってみるのもサバンナの思い出になるようだ。 コットンの倉庫街も、再開発で内装をすっかり手直し、芸術家のアトリエや、住宅として使われている。 倉庫街の後には、コットン取引所の建物が残されていた。この建物で、南北戦争当時いかにコットンの取引きが栄えていたかを想像することができる。 キング牧師もゆかりがあるという「ファースト・アフリカン・チャーチ」の礼拝堂の椅子。当時の黒人のおかれていた地位が多少は理解できるかもしれない。 このコットンの生産が、アメリカ南部に、当時の北部の工業に対抗して南北戦争を行わせる程の力を持たせたものなのだ。サバンナの観光協会のミュージアムにて。 ディープ・サウスのジョージア州が、コットン生産などで今日の繁栄を築き上げることができたのは、アフリカから奴隷として連れてこられた黒人(地元のアメリカ人はアフリカ系アメリカ人と呼ぶ)の力による所が大きい。今日では奴隷時代の暗い陰を持たない黒人がサバンナにも多く住んでいるようだ。 港からサバンナ川沿いに大西洋に出た所にある砦がフォート・プラスキだ。南北戦争の間、南軍と北軍の間で何度もここで攻防戦がおこなわれた激戦の地だったが、現在では国定公園になっている。そして当時の衣装を着た人が南部の軍隊のようすなどをデモンストレーションしてくれる。 コットンの積み出し港として栄えていたサバンナの町をおさえる絶好の位置にあったフォート・プラスキは、最後まで南軍がたてこもり、北軍に抵抗したことでも知られている難攻不落の砦だった。 サバンナーを思わせるミセス・ウィルクス・ボーディング・ハウス。 そして、このレストランの名物料理「ブランズウィック・シチュー」 ≪≪前へ 目次 次へ≫≫