アンテベリアム・トレイルのプランテーション・ホーム

アトランタで『風と共に去りぬ』のイメージを追い求めて数少ないプランテーション・ホームを訪ねていた私に、ジョージア州には、本当はプランテーション・ホームがまだまだいっぱい残っているのだと教えてくれた人がいた。北軍のシャーマン将軍がアトランタから大西洋へ出たサバンナまで、ことごとく焼き払っていったのだが、途中の町で焼失からまぬがれた町があるというのだ。その町はマディソンという町で、アトランタから車で一時間ほどで到着した。この町が「アンテベリアム・トレイル」一の名所になっていて、さしずめ「風と共に去りぬ街道」とでも訳したら良いのだろうか、ドライブ・ルートのハイライトの町だった。

なぜ、この町が焼けないで残ったのかという疑問には、シャーマン将軍の士官学校時代の同級生がこの町の出身だったからだという説明に納得。

アンテベリアム・トレイルは、マディソンの北のジョージア大学の町として知られるアセンスから出発し、このマディソンを通ってイートントンの町までのドライブ街道だ。アトランタに到着し、空港でレンタカーをしてアンテベリアム・トレイル沿いに走ってみたことがある。ちょうど、アメリカ人が美しいと自慢する「ドッグウッド」、日本名を「はなみずき」という花が満開の時で、花の美しさにみとれながらも、「街道」沿いに残るアメリカ南部文化の華「アンテベリアム・プランテーション・ホーム」と呼ばれる建物を見つけながらの楽しいドライブの旅だった。

「アンテベリアム」とは、南部のプランテーションの代表的な建築様式で、当時ヨーロッパで流行していたギリシャのどっしりとした円柱の建築様式をとりいれたもので、地方によっては、アンテベリアム様式の中にも高床式にした「レイズド・コテージ」と呼ばれるものもあったり、マディソンで見つけた「ジンジャー・ブレッド・ハウス」とも呼ぶかざりを思い切りつけた建物があったり、その間には、当時のアフリカから連れて来られた奴隷の住んだと思われる小さなキャビンを見つけたり、アメリカ南部の歴史を実際に見つけながら進んでいく旅だった。

今晩、ちょうど南部の代表的料理のひとつ、なまずのフライ「フィッシュ・フライ」のパーティを自宅でやるので来ませんか、と招待をうけた。つい最近までは南部の人しか食べなかったしろもので、なまずのあのひとなつっこそうな顔を想像しながらも、好奇心で招待を受けることにした。豪壮なプランテーション・ホームを思わせる家の中を通り裏庭へ出ると、すでにてんぷらを揚げるような油が鍋に用意されていて、実は、なまずは英語で「キャット・フィッシュ」と呼び、もしかしたら猫みたいな大きな顔をした魚が並べられるのではないかと、ビクビクしていたのだ。しかし、すでに魚の頭はきれいに切り落とされて、開きにまでなっていた。これにコーンでできた粉をつけ油であげるとフィッシュ・フライの出来上がり、というわけだ。揚げたてのキャット・フィッシュの味は、地元のピーチトリー・シュナップスと呼ばれる酒をグレープフルーツ・ジュースで割ったファジー・ネイブルと呼ばれるカクテルの酔い心地で、それまでに心配していた「猫の顔」もすっかり忘れてしまい、とてもおいしかった。

アンテベリアム・トレイルの町マディソンで見つけた「ビクトリヤン・ジンジャーブレッド」ハウス。1887年のこの建物は、当時のジョージアがいかに栄えていたかを物語っている。

1840年に建てられたマディソンにあるジョシア・ヒル・ハウス。アンテベリアム・プランテーションの建築様式を示す代表的な建物のひとつだ。正面のポーチに四本の円柱があり、どっしりとしたこの家は、周囲はうっそうと茂るカシの木に囲まれ、いかにもディープ・サウスを代表する建物だ。

実はこのドライブの旅はこの女性が案内してくれた。後方が、1833年に建てられたエドムンド・ウオーカー・タウンハウス。農園の真ん中にあった建物というよりは、町中に建てられたタウンハウス様式だ。

マディソンで見つけたキャビン。その昔は奴隷の住まいだったようだ。

このアンテベリアム・トレイルの標識沿いに走った。

アンテベリアム・トレイルから寄り道をしてステイツボロの町へ寄ってみた。ちょうど満開のドッグウッドの向こうにブラネンホームが見えてきた。1900年代になって建てられたものだが、プランテーション・ホームの建築様式を伝える豪壮な建物だ。

アセンズはアンテベリアム・トレイルの出発点の町だが、ジョージア大学の町としても知られる。これは大学生の自主的組織の建物「フラターニーティーハウス」になっている。・

アセンズのユニバーシティ・オブ・ジョージアは、1785年に創立された大学だが、南部の面影を残す美しいキャンパスが印象的だった。

これもダブリンの町へアンテベリアム・トレイルから寄り道をして見つけたローレンスヒル・プランテーション・ホーム。1840年頃に建てられたこの建物には、このかわいらしい天蓋つきのベッドも残されていた。この様な建物の中には、ミュージアムとして保存されているもの、個人の住宅になっているもの、「イン」と呼ばれる民宿になっているものなどが有るようだ。

これもダブリンで訪ねたフラーハウス。家具、調度品で足りないものがある時は、時代考証をして買い集めるのだという。

マディソンのグリーク・リバイバル・コテイジ。アンティークのコレクションの趣味がこうじてついに当時の家にまで住むことになったのだそうだ。

ジョージアの人々は、伝統的にも祖先が築いてきた文化を大切にするようだ。ステイツボロの町の裁判所がちょうど開かれていたセント・パトリックス・デーのお祭り日にこの様にデコレーションをされていた。

同じステイツボロの町で見つけたジャッケル・ホテルの正面玄関。古くなってしまった建物をこれから手を入れて建築当時の姿を再現するのだという。

ステイツボロの裁判所では、セントパトリック・デーのお祝いの準備が進められていた。大きな旗を正面玄関に掲げ、夜間の電飾電球も用意していた。

ジョージア州は、コカ・コーラの発祥の地としても知られている。マディソンの町では、初期の頃の広告看板を今でも見つけることができる。

これがフィッシュ・フライのキャット・フィッシュのフライにする前の姿だ。ねこの顔のような大きな頭はすでに切り落とされていた。

ディープ・サウスを代表する「キャット・フィッシュフライ」と、コーンで作ったアゲパン「ハッシュ・パーピー」。コーンで作った「グリッツ」も見える。

ディープ・サウスの人でもキャット・フィッシュを食べる時は「皆んなで食べればこわくない」というわけか、たいていフィッシュ・フライのパーティ形式にして大勢で集まって食べるようだ。

これもディープ・サウスの皆んなで集まって食べる「ピッグ・ピクリング・パーティ」の料理だ。ハワイの「ルアウ」の様にブタの丸焼きを囲んで食べるのだが、子ブタが丸のまま大皿にのせられているのには驚いた。それでも肉をほぐして皆んなでつついて食べるブタ肉の味は、日本の焼き豚のようでおいしかった。これも「皆んなで食べれば怖くない」。

「サザン・ハート」とか、「サザン・ホスピタリテー」という言葉をよく聞く。昔からプランテーションで働いてきたと思われるこのおばさんもパーティで大活躍だった。

ディープ・サウスのミス・コンテストでも「サザン・ハート」や「サザン・ホスピタリティー」を一番に選ぶようだ。セントパトリックス・デイのパーテイでのミス・ジョージア。

日本の伝統文化に対しても共通するものを感じるようだ。フォート・バレーのカメリア・ガーデンの日本庭園で。砂糖きびの臼。

1835年に建てられたステイツボロのニューコットン・ホールの庭では、日本の庭園を思わせる桜の花が満開だった。プランテーションでは四季の移り変わりに敏感な日本と同じように四季が感じられる。

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