ジョージア州

州都アトランタは、アメリカの都市の中で、私が今最も注目している都市のひとつだ。

最初に訪ねた1968年の冬の旅の時は、ただジョージア州の州都という印象だけで、ダウンタウンで車を駐車する所を見つけられなかったので、そのまま素通りしてしまったことを思い出す。それが、その後の工業を中心とする産業の比重が南部に移るにつれて、アメリカの南部を代表する都市にまで成長してしまったのだ。

1996年のオリンピックの開催都市ということで注目されてただけでなく、アトランタはCNNの本社のある町としても知られている。この地球上で何か事件がある度に全米家庭のほとんどで、アトランタ市に本拠地を置くテレビニュースのネットワーク」CNN「にチャンネルを合わせるようになっている。また、アトランタで州知事を勤めたカーター元大統領の出身州であったことで、急激にアメリカ南部の要となる都市にまで成長してしまった。アメリカ合衆国全体としても、政治、経済、文化の面で重要な位置を占める都市になっている。

こんなわけで、ジョージア州は歴史的には他の南部の州と同じ様にコットンの生産を中心とした農業州だったが、最近では様々な産業が急激に北部から移ってきて、日本からの産業投資の多い州としても知られている所だ。

「風と共に去りぬ」のイメージを求めて

ディープ・サウス(深南部)を代表するアトランタは、私にとっては、やはりあの南北戦争を題材としたマーガレット・ミッチェルの小説、『風と共に去りぬ』をもとに50年以上前に作られた映画のイメージが一番強烈だ。しかし、最初に訪ねた時は、あのラストシーンでもご存じのように、アトランタの街はことごとく焼き尽くされてしまっているので、歴史的な観光名所はほとんど無かった。最近この様子が一変しているのに気がついた。50年前の『風と共に去りぬ』のプレミアショーを記念する催しが大々的に行われ、また映画のラストシーンを覚えている方なら理解できると思うが、このアトランタ地方にかろうじて残されていた当時からの農園主の館=プランテーション・ホームを探し出してきて、自分たちの歩んできた姿を誇りを持って保存するようになってきている。あの映画に出てくるようなアメリカ南部の古き良き時代の姿を求めて、またジョージア州を訪ねてみた。日本から乗り換えなしにアトランタの空港に空の便では入れるというのは、ジョージア州の人々にとっては自慢の種のようだ。空港到着後、ターミナル内の」マルタ「と呼ばれるラピッド・レイル・システムに乗ると、たったの一五分程度でダウンタウンへ到着した。

着いた駅からホテルへ行く数分の間、そこにもちゃんとマーガレット・ミチェル・スクエアがあり、全く新しいイメージのモニュメントも出来上がっていて、これが真っ先に眼に入ってきた。そしてその向こうにある図書館にも、マーガレット・ミッチェルを記念する展示があるという具合だ。

南北戦争当時のアトランタの豪邸を思わせ、アトランタの歴史協会にもなっているスワン・ハウスを訪ねてみた。やはり、ちょうど映画『風と共に去りぬ』の上映50周年を記念する展示が行われていて、今アトランタの人々が、アメリカの歴史上の重大な岐路となった南北戦争を振り返り、その中でアトランタのたどってきた歴史に注目している姿が強く感じられた。

急成長を続けるアトランタは、ダウンタウンの街中が工事中といった感じで、古い建物が取り壊され、新しい超近代的なオフィス・ビルやホテルが次々と建てられている。そんな中にあって、それでも古い一軒の三階建ての木造アパートがポツンと残っているのが眼に入った。これがマーガレット・ミッチェルが『風と共に去りぬ』を書いた時に住んでいたアパートだった。何年か後には、きっとここも建築当時のように美しく再現され、新しい観光名所としてデビューするのであろう。

アトランタを『風と共に去りぬ』で訪ねてみた結果、やはり郊外のストーン・マウンテンを忘れるわけにはいかなかった。郊外のアトランタ市民の遊園地といったイメージが強いのだが、南北戦争当時のプランテーション・ホームも移築されていて、当時の生活の様子が保存されていた。そして巨大な花崗岩の岩山の壁面に南北戦争を戦った南軍を記念する巨大なレリーフがあったのだ。このストーンマウンテンでは南北戦争を戦った南軍の将軍を岩に彫ったものだけしか見られないかと思ったら、ここで突然当時の姿をした人々に出会うことができた。映画と同じ衣装を着たスカーレット・オハラのそっくりさんがいたのだ。

やはり『風と共に去りぬ』のイメージを大切に保存している。個人でコレクションするブロマイド写真。

映画の衣装のデザインに使われたスケッチも大切に保存されている。

アトランタ郊外のストーン・マウンテン・パークで、映画に出てくる衣装と全く同じ衣装で、私の『風と共に去りぬ』のイメージを求めて訪ねた旅を演出してくれた「ミス・スカーレット」。スカーレット・オハラのそっくりさんコンテストの優勝者だ。

ジョージアには『風と共に去りぬ』の原本を始めゆかりの品をコレクションする人もいる。

マーガレット・ミッチェル・スクエヤー前の図書館の『風と共に去りぬ』の展示会場にて。

図書館は、アトランタ・フルトン・パブリック・ライブラリーと呼ばれ、マーガレット・ミッチェルの使ったタイプライターを始め、初版本なども展示されている。

アトランタのダウンタウンを歩いてみると、ダウンタウンの目抜き通りの「ピーチトリー・ストリート」、「ピーチトリー・バトル」などといった地名や通りの名前に『風と共に去りぬ』や南北戦争ゆかりの名前を見つけることができる。ここで、マーガレット・ミッチェル・スクエアを示す道路標識を見つけた。

ダウンタウンのマーガレット・ミッチェル・スクエア。後方には、アトランタのシンボルともいえるピーチトリー・センターのビルが見える。

次々と立てかえられていく中にあって、古ぼけた木造の3階建てのアパートがあった。マーガレット・ミッチェルの住んだアパートだった。

アトランタ歴史協会のあるスワン・ハウスは、古き良きディープサウスの面影を残す建物だ。南北戦争後かなりの年月の後の建築だが、アメリカ南部の文化を強く残す貴重な建物だ。

現在は「プランターズ・レストラン」になっているこの建物は、アトランタ郊外に残る1848年に建てられた貴重なプランテーション・ホームだ。プランテーション・ホームの代表的「アンテベリアム・グリーク・リバイバル」の丸い円柱が見られる。

コカ・コーラの創立者、キャンドラーの家で、1900年の始めに建てられたものだが、プランテーション・ホームの建築様式を伝えるアトランタに残る貴重な建物だ。

プランテーション・ホームのレストランの窓から建物の中をのぞいてみると、南部文化の栄えていたあの『風と共に去りぬ』の世界を垣間見ることができるかもしれない。

プランターズ・レストランの中は、キッチンやダイニングルームの他は、今でも建築当時の姿を保ったように大切に保存されている。

南北戦争当時のような優雅な結婚式を挙げたいと思うカップルで、プランターズ・レストランは貸し切りになることもあるという。

この螺旋階段は、南北戦争後かなり後の建物だが、全盛時代のディープ・サウスの文化遺産を今日に伝える貴重なものだ。アトランタ歴史協会のスワン・ハウスの内部。

これもスワン・ハウスの内部。『風と共に去りぬ』の時代には、コットンの生産などで栄えていた農園主の館は、この様に当時のヨーロッパからの輸入の家具調度品などであふれていたという。

1800年中頃の農園の生活を再現するアトランタ歴史協会の展示。当時の生活は、黒人奴隷労働者を大量に使った貧富の差の非常に大きな社会だったようだが、文化的にはかなり高度な生活をしていたようだ。

巨大な花崗岩の岩山に彫られた南軍を記念するレリーフ。ストーン・マウンテンはこの岩山を中心に、アメリカ南部をテーマとするテーマ・パークになっている。

サウス・ダコタ州のマウント・ラッシュモアと共に、アメリカを代表する巨大な彫刻は、南軍のリー将軍、ジェファーソン・デービス大統領、「ストーンウォール」ジャクソンの像だ。

ストーン・マウンテンの公園内のアンテベリアム・プランテーション・ホーム。ジョージア州に残っていたものを移築したものだが、当時の生活を垣間見ることができる。

アトランタの人々は、最近になってようやく南北戦争当時の、アメリカ南部の文化に誇りをもつようになってきているように思う。ストーン・マウンテンのアンテベリアム・プランテーションにて。

ストーン・マウンテンは南軍を記念するテーマ・パークだが、アトランタ市民に親しまれている公園だ。

南軍の征服を着て、当時の南軍のキャンプの様子をデモンストレーションしてくれた。ストーン・マウンテンにて。

アトランタから南へドライブして訪ねたラブジョイ・プランテーション・ホームは、マンティーク・コレクターの個人の所有になっていて一般公開されていないが、現存するプランテーション・ホームとして貴重な存在だ。

ラブジョイ・プランテーションで見つけた面白い案内表示。小説や映画に登場する名前をもじっているのだ。

夏のストーン・マウンテンは、アトランタ市民にとっては、楽しい遊園地なのだ。家族連れでピクニックしながらも南軍の歴史をふりかえり一日湖畔で過ごすこともある。

当時リバー・ボートは川底の浅い所を走れるように外輪船になっていた。また別名ショーボートとも呼ばれていた。ストーン・マウンテンにて。

アトランタから西へドライブして訪ねたゴルフ場や蝶の温室や植物園もあるリゾート「キャラウェイ・ガーデンでも、『風と共に去りぬ』時代のアメリカ南部の面影を見つけたような気がする。

アトランタのフォックス・シアターは、アメリカ映画全盛時代の名残のような建物だが、ちょうど高校生の卒業パーティーのシーズンだった。普段はあまり使われる事が少なくなったこの劇場を使って「ハイスクール・プロム」と呼ばれる盛大なパーティが開かれていた。

アトランタで開かれていたハイスクール・プロムは、時代や登場人物が全く違うかもしれないが、ディープ・サウスに伝わるアメリカ南部の伝統を今に残している様な気がする。今まで着たこともない派手な盛装を始めて着させてもらって、カップルで夜遅くまで思い切り楽しむのだ。このときは、アトランタ中が『風と共に去りぬ』時代に戻ったようだった。

高校生の彼等彼女等は、生まれて始めての盛大なパーティーを開いてもらって、もうスカーレット・オハラかレット・バトラーになった気分で、夜遅くまでアトランタのダウンタウンで大騒ぎをしていた。

もちろん黒人の学生たちも、過去の黒人奴隷の歴史のことは忘れて、同じ様にスカーレット・オハラかレッド・バトラーにでもなった気分で、ハイスクール・プロムを楽しんでいた。

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