テキサス州

 日本の国土1.8倍の面積を持つテキサス州には、その広さのせいか、広い高速道路には大きい車の方が似合うとか、ビルは一センチでも高い方がいいとか、なんでも大きいほうがいいという感覚が根付いているようだ。また、小さいものごとを大袈裟に表現するのが好きな彼等の話すほら話は「テキサス・ブラッグ」といわれ、全国に知れわたっているほどだ。

 テキサス州は、メキシコがスペインから独立した当初はメキシコ領だったのだが、アラモの戦いなどをへて1836年に独立、以降1845年まで、独立した一国家「テキサス共和国」だったという経歴を持つ。後にアメリカ合衆国に併合されるわけだが、独立国家だったというプライドや、代々受け継がれてきた独立心が「テキサス魂」といわれているもで、どうも、大きなものや一番が好きだという彼等の気質のもとになっているもののようだ。

 1901年、初めて油田が見つかっていらい、全米の産油量の30%以上ををまかなってきているテキサス州は、その豊かな石油資源から生まれるオイル・マネーと、恵まれた気候を求めて集まってくる人々によって、全米でも有数の財政豊かな州が作り上げられた。同時に、ヒューストンにあるNASAの施設を始め、多くの企業が集まり、最先端技術を誇る州でもあるのだ。

テキサスの三大都市、ダラス、ヒューストン、サンアントニオ

 テキサス州は、サクセス・ストーリーが似合う所。私の友人サットン氏も、そのサクセス・ストーリーの主人公の一人だ。

 29年前、サットン夫人が努めていた人材派遣会社の社長が引退する時、当時まだ20代だった夫人にこの会社を買い取らないかという話が持ち上がったのだ。夫婦で考えた末、銀行から借金をして、買い取ることに。サットン氏も自分の勤めをやめて、彼女の会社の経営に乗り出すことになったのだ。

 二人の努力の結果、会社の経営も順調で、最近引っ越したという自宅は、ダラスのダウンタウンのオフィスから車で20分程の所にある、庭にプールや馬舎まであるという、日本ではとても考えられないようなお屋敷だ。このような夢のような話が実際に起こりうる、スケールの大きな町ダラスは、1年行かないとガラリと風景が変わってしまうほど、回転の早く、目が離せない所だ。

 1970年代、全面ガラス張りで出現し、世間をアッと言わせたアルコ・ビルやアライド・バンク・センタービルは、現在ではすっかり時代遅れの建物だ。その後、1980年代にはアールデコ調のものが流行、Mバンクとか、インフォマート、クレセント・コートといったものが建てられている。これらの建物も、数年後には古臭いものになるのは目にみえている。いったい次はどのような建物が流行るのだろうか。

 テキサス州で、ダラスとともに注目されているのが、ヒューストンとサンアントニオだ。互いに高速道路で結ばれている3都市のうち、まずヒューストンを訪ねた。1970年代、1980年代そして1990年代と、それぞれのビルが建てられた年代がはっきり区別できる町並みはダラスのそれとよく似ている。ヒューストン名物のアストロドームは、残念ながら全面改装中。日本に最初に室内競技場ができる20年も前に建てられたというのだから、改装するのも当然と言えば当然だ。そしてNASAのコントロールセンター。人類が月へ着陸し、その石を持ち帰ってからすでに20年。最近ようやく日本人の宇宙飛行士が登場したことを思うと、NASAの技術の進歩の早さには驚くばかりだ。

 また、40年以上も前に設立された「テキサス・メディカル・センター」は、医学をテーマとした未来都市の様相。広大な敷地に、医学関係のあらゆる機関が集結しているのだ。このようにダラスとテキサスは、あらゆる面で日本より進歩しているようだ。

 もう一つの頂点サンアントニオは、この二つの都市とはまるで違う町だ。メキシコとスペインの香りが町中に強く流れるのだ。町のメインストリートは「パセオ・デル・リオ(川の散歩道)」というスペイン語の名前が付いていている。それもそのはず、この地は1836年まではメキシコ領だったのだ。

 サンアントニオからダラスへ戻る途中、州都オースチン郊外のゴルフ場で開かれていた、カントリー・ミュージックの大御所、ウィリー・ネルソンのピクニック・コンサートをのぞいてみた。広大なゴルフ場一杯の観客を集めて行われている大規模な野外コンサートは、いかにも大きいものが好きなテキサス州で行われているコンサートだという醍醐味に溢れていた。

1970〜1980年代次々と高層ビルが建てられ、ダラスのスカイラインは一変した。広大なテキサス州では、交通の発達は、州経済にも重要な影響を及ぼすものだ。ダラスの高速道路網。

ダラスの「リユニオン・タワー」にある、町が一望できる展望台から眺めたダラス市内。この景色は、ダラス市民の自慢の一つだ。

ステイト・フェアが毎年10月に開催される、ダラスの文化センター「ステイト・フェア・パーク」。毎年お正月に行われる「コットン・ボール」の競技場もあり、スポーツ・センターの役割も果たしている。

最先端の設備を持つ、ダラス・フォートワース空港。双子都市のダラスと、フォートワース市が共有する空港だ。

高速道路網も、テキサス州が世界に誇るものの一つだ。作られた当時、世界で一番車線が多いということで話題になった、ダラスのインターステイト35号E。

ダラスは、ジョン・F・ケネディーが暗殺された町としても有名だ。暗殺現場と、暗殺犯人が潜んでいたとされる、左側のビル。

ダラスのダウンタウンに保存されている、パイオニア時代のログ・キャビン。市内には当時のダラスの姿を保存する「オールド・シティー・パーク」もある。

ダラスの高層ビル群を見晴らす「リユニオン・タワー」の球形の展望台。隣にあるのは、1970年代スタイルで、ガラスをふんだんに使った建築、「ハイヤット・リージェンシー・ホテル」。

1980年代に流行したのは、アールデコ調。外観にもその雰囲気が伝わってくる。「テキサス・コマース・タワー」。

「Mバンク」と名付けられた新しいビル。最近、アメリカでは、銀行業界の吸収合併が多く、名前も次々に変わって行く。このMバンクも前回来た時には別の名前だったような気がする。

都市の中に住むのは、ダラスでもアパートが主流。これは、最高級のアパートとホテルを組み合わせた最新スタイルの、「クレセント・コート」。

高層ビルの谷間にホッと一息つけるスペースを作ることを忘れないのがダラス流。「ファースト・インターステイト・バンク・タワー」の噴水。

最新式の機能美だけをあらそう高層ビル群の中には、石油会社のアトランティック・リチフィールド社のようにな、遊びの感覚を取り入れたものもある。

最近のダラスの高層ビル群は、さながら現代建築のコンテスト会場。

建築ばかりではなく、文化的にも進歩した町というイメージを作ろうとしているダラス。ダラス・ミュージアム・オブ・アートの展示場。

夏の暑さに備えて、ビルの中に室内遊園地を作っているところもある。「プラザ・オブ・アメリカス」ビルのアイス・スケート・リンク。

1970年代のダラス建築を代表する、「アライド・バンク・センター」。建築当時は、町のシンボル的存在だった。

「ダラス・マーケット・センター・コンプレックス」は、世界最大の商品取引所。その中の「インフォメーション・プロセシング・マーケット・センター」は、商品情報を提供する所。

1950年代につくられた、斬新な建築、フランク・ロイド・ライトの設計で知られる「ダラス・シアター・センター」。2つの建物が組み合わされており、地下には、ユージン・リー設計の劇場がある。

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