カスター将軍とインディアンの戦いの跡

 西部の一番北側に位置するモンタナ州は、西部開拓団のルートから外れていたため、開発も一段と遅れていた。そして、ここは、西部各地を次々と追われてきたインディアン達の最後の砦であり、なんとしても守らなければならない場所でもあった。

 そこで1868年、モンタナ州の南隣、現在のワイオミング州のララミー砦で、スー族、シャイアン族といったインディアンの代表とアメリカ合衆国政府の間で、インディアン居留地に関する条約を制定することにしたのだ。これで一段落と思われたのだが、インディアン達が居留地で落ち着いて生活できたのも、ほんの数年間のこと。一八七四年、こんどは東隣、現在のサウスダコタ州西部、インディアン居留地に指定されているブラック・ヒルズにゴールド・ラッシュが訪れたのだ。一獲千金を夢見る大勢の白人達が、条約も政府の指示もそっちのけでこの土地へおしかけ、我が物顔で生活するようになった。そこで怒ったのが、スー族の酋長、シテイング・ブルやクレージーホース達だ。しだいに合衆国側に、敵意をいだくようになっていったのだ。

 一方その頃合衆国はちょうど南北戦争が終った時期。南北戦争の興奮がさめやらぬ軍人達は、自分の活躍の場を探してストレスがたまっていたところだ。アメリカ合衆国第七騎兵隊を率いる当時は中佐に降格していたカスター元将軍もそのようなひとり。サウスダコタとモンタナでのインディアン達と白人達の争いを耳にした彼は、自分の実力を政府に示すチャンスとばかりに、さっそくモンタナ州南部へむかった。

 ところが、あまりにも勝利を急ぎ過ぎたカスター将軍は、人材を揃えるまもなく出発。たった260人という軍勢でインディアン側と戦う羽目になってしまった。何千人というインディアンに対して、いくら最新の武器を揃えているとはいえ勝てるはずはない。あっという間に隊長以下、全滅してしまったのだ。有名なこの戦いの戦争跡は現在、「カスター・バトルフィールド」という国定公園兼国立墓地になっている。少数の軍勢でインディアンに立ち向かい、英雄視されることも多いカスター将軍だが、モンタナ州の人々は、カスター一辺倒の考えはしていないようだ。

 その証拠に、戦場跡のすぐ近くのビッグホーン・キャニオン国立リクレーション地区にあるダムには、最近のクロー・インディアンのリーダーの名前をとり、イエローテール・ダムと名付けられているほど。地元の人々は、インディアン達の立場やその力を十分に理解し、仲良く共存していこうとしているようだ。このように、現在でもインディアンパワーが以前健在なモンタナ州で、クロー・インディアンの居留地を訪ねてみた。

 遠路日本からの客と言うことで、まずは彼等の伝統の踊りで出迎えだ。その後はクロー・インディアン式のバーベキューもごちそうしてくれるという。大きな肉の固まりを担いできたかと思うと表と裏たかいちがいにに切れ目をいれ、左右で肉を引っ張る。そうすると、なんと一枚のちょうどいい大きさのバーベキュー・ビーフになってしまうのだ。素朴でダイナミックな作り方だ。

 100年位前、必死に守り抜いたこのモンタナの地で、現在も当時の精神を忘れずに暮らしている彼等をみると、このまま静かに生活させてあげたいとつくづく思ってしまう。

アメリカの有名なニュース・キャスターの、チェット・ハントリーによって、ロッキー山脈の真ん中に作られているリゾートは、州のニックネームにちなんで、「ビッグ・スカイ」。

この気球に乗って、ロッキー山脈越えにチャレンジして見たのだが、山から吹き下ろす風の前に、あえなく失敗。ビッグ・スカイ・リゾートにて。

モンタナ州ボーズマン郊外のリゾートと言うよりは、ワイオミング州のイエローストーン国立公園のベースキャンプといった観のある、ビッグ・スカイ・リゾート。

夏のモンタナは、都会の子供達のためのサマースクールの場所として人気。ボーズマン郊外で行われていた、キリスト教系のサマーキャンプ。

ボーズマンの名物は、「スモーク・ジャンパー」と呼ばれる森林消防隊と、このモンタナ大学。

大学の町、ボーズマンの競技場。毎年開催される「カレッジ・ナショナル・ファイナル・ロディオ(CNFR)」は、大学生のロディオの全国大会だ。

出場者は、各地のトーナメントを勝ち抜いてきただけに、本物のカウボーイ顔負けの腕前を誇っている。荒馬乗りの「ブロンコ・ライディング」の決勝戦。

カスタ・バトルフィールド国定公園は、州最大の都市、ビリングス郊外のクロー・インディアン居留地になっている。「カスター・ヒル」は、第七騎兵隊のカスター隊長以下260人の騎兵隊が、何千人というインディアンを向こうに回し、戦い全滅した現場だ。現在でもその戦いの跡を見ることができる。

全滅した第七騎兵隊をたたえる記念碑が、国定公園内に建てられている。

国立墓地にも指定されている、カスター・バトルフィールド国定公園。

カスター隊長の墓。遺体は、後にニューヨーク州のウェスト・ポイントに改葬されている。

国立公園局のパークレンジャーが、第七騎兵隊のユニフォームを着て、当時の戦いの様子を身振り手振りで、細かく説明してくれる。

公園内のビジター・センター。中には博物館もあり、数々の遺品のほかに、ジョージ・アームストロング・カスター将軍の写真も展示されてる。

「リノ・ベンテーン・バトルフィールド」の丘の上の、第七騎兵隊の記念碑あたり。リノとベンディーンに率いられた分隊は、奇跡的に全滅から逃れたという。

ビジター・センター内の博物館。当時の戦闘の悲惨さをあらわしている展示。

第七騎兵隊が全滅するまでの戦闘の推移を示す地図が、現場の見える丘の上にある。

ビリングス郊外のクロー・インディアンのレザベーションを訪ねると、歓迎のセレモニー・ダンスを披露してくれた。このレザベーションの東側には、シャイアン族のレザベーションもある。

クロー・インディアンは、今でも独特のテント「ティピー」を利用することもある。

厚い肉切れを手に持ったまま、両側から交互に切れ目をいれて、バーベキューに良い厚さにする。

クロー・インディアンのレザベーション内。乗馬のレッスンに来た女の子。

シャイアン・レザベーションのレイムディアーの町。コンビニエンス・ストアがあった。

インディアン・レザベーション外でもインディアン人口が多い。カスターの町で。

広大なクロー・インディアンのレザベーションの中にある牧場。馬の鞍の上からみると、また一段と空が大きく感じられる。この牧場は、元「ミス・モンタナ」がインディアンから土地を借りて経営している。

「イエローテイル酋長」の名前をとった、イエローテイル・ダム。

イエローテイル・ダムは、ビッグホーン・キャニオン国立リクレーション地区になっている。

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