ユタ州

 「西部」のなかの南西部諸州は、自然による不思議な地形の変化がいろいろと見られる所だが、そのなかでもユタ州は、とくにめずらしい自然が多く見られる所だ。

 州北部にある世界最大の塩の砂漠「グレート・ソルト・レーク・デザート」は、大昔の海が内陸部に残され太陽熱によって蒸発、塩分だけが残された砂漠だ。その表面は、まるで湖の表面のように平らで、時速千キロを出すような車のテスト・コースとしても利用されている。そして、一部に残っている海の名残は、濃い塩水湖となり「グレート・ソルト・レイク」と呼ばれている。

 州南部には、アリゾナ州から続く砂漠地帯が広がり、地殻変動や太陽や雨や風が作り出した造形美を見せてくれる。アーチェス国立公園、キャニオンランド国立公園、ブライス・キャニオン国立公園、ザイオン国立公園、さらには、アリゾナ州にまたがるモニュメント・バレー・ナバホ・トライバル・パーク、グレン・キャニオン国立リクレーション地区など数え上げるときりがないほどだ。

 ユタ州は、全人口の60%以上がモルモン教徒だといわれている。もともと、不毛の砂漠地帯を、ブリガム・ヤングというモルモン教の指導者のもと、モルモン街道を進んできた幌馬車隊がこの土地を開拓し、ここに住み着いたという。現在でも人口の大半をその子孫がしめているのだ。

モルモン街道の終点、ソルトレークシティー

 ユタ州の州都ソルトレークシティーは、モルモン教の総本山、「テンプル・スクエア」がある町でもある。そこで、礼拝にやってくるモルモン教徒で賑わうであろう、テンプルの様子を撮影しようと思い、日曜日の朝早く、教会へでかけてみた。

 ぶらぶら歩いていると突然、「おはようございます」「日本からいらしたのですか?」と、まるで日本人が発音しているように流暢な日本語が聞こえてくる。それも一人の声ではないのだ。こんな所で日本語が聞けると思わなかった私が驚いて振り向くと、ネクタイにブレザー、髪の毛もきちんとカットしてある好青年が3〜4人、私のほうをみてにこにこしているではないか。

 話しを聞いて見ると、彼等はモルモン教の布教活動を希望している青年達。日本へ布教活動に行くために、日本語の勉強をしているとのことだった。この町では、ここから世界各国へモルモン教の布教活動に出かける若者のために、語学教育システムが非常に発達しているようだ。

 そういえば彼等の雰囲気がなんとなく、テレビで見る、ケント・ギルバート氏やケント・デリカット氏に似ているような気がする。もともとはモルモン教の布教活動のために来日したという彼等が日本語が上手なのも、こうやってアメリカにいるときに十分な教育を受けてきたからだったのだ。

 西部開拓時代、禁酒、禁煙でおまけに一夫多妻制という戒律が災いしてか、行く先々で迫害を受けてきたモルモン教徒たちは、ブリガム・ヤングという指導者を得、開拓団を結成した。彼等は安住の地を求めてモルモン街道と呼ばれる街道をひたすら西へと進み、ロッキー山脈を越え、現在のソルトレークシティーあたりまでやってきた。

 一般の西部開拓団が、金や銀を目指してさらに西へ向かう時、彼等はこの広大な塩の砂漠や塩の湖、不思議な岩山が周りを囲む、この土地に自分達の町を築くことにしたのだ。以降、厳しい自然と戦いながら、この土地を開拓してきたモルモン教徒の人々のお陰で、今日のユタ州は、周囲こそは以前のまま、塩の砂漠、塩水湖に囲まれてはいるが、開拓された中は、自然に囲まれた美しい農地がつくられている。とくにソルトレイクシティーは、整然とした町並と、高原の美しい自然がみごとにマッチした、素晴らしい都市に出来上がっているのだ。

 1847年に、初めてこの地に到着してから約150年、自分達の理想とする都市を築き上げたという、モルモン教徒達の自慢する声が聞こえてきそうな町、それがソルトレークシティーだ。

ユタ州の州とソルトレークシティーの州議事堂の前には、州の振興のため、モルモン教の聖書からとった大きな蜂の巣箱の彫刻が置かれている。

テンプル・スクエアと呼ばれる、モルモン教の総本山の建物が立ち並ぶ一角も、ソルトレークシティーの名物。

日曜日の朝、「タバーナックル」と呼ばれるテンプルスクエアの巨大な集会場には、モルモン教徒の人々が全国各地からぞくぞくとやってくる。この集会の様子は、毎週テレビで全米に放映されている。

アメリカの大都市の中でもとくに美しい都市のひとつに数えられる、ソルトレークシティー。州議事堂の正面から、真っ直ぐ20マイル近くも伸びるステイト・ストリート。

モルモン教のリーダー、ブリガム・ヤングに率いられた幌馬車隊が、1847年にこの地に到着「ディス・イズ・ザ・プレイス」と宣言して開拓を始めたのだ。

市内に市電が走っていた時代をしのんで、電車の車庫を「トリーリー・スクエア」というショッピング・センターに改装した。

先祖の人々の苦労の結果、今日のユタ州ができた。人々は、彼等への感謝の気持ちを忘れてはいない。毎年9月に行われる、ステイト・フェア会場で。

露店堀方式の銅山としては世界一の規模を誇る、ビンガム・キャニオン銅山。全景を見渡せる展望台から見ても実感がわかないほどの大きさだ。実際に動いている機械も普通の建設機械の何倍ものおおきさなのだという。

キネコット・カッパー社が経営する銅山。金や銀もかなり産出されるそうだ。

ユタ州には、モルモン教徒の人々に混じって、日系人も多く入植している。

ソルトレークシティー市内にある、ボンネビル・レースウェイ。

このレースウェイは、グレート・ソルト・レークの砂漠のひとつから名前をとった。

グレート・ソルト・レークの北側には、「ゴールデン・スパイク」がある。ここは、アメリカ最初の大陸横断鉄道がつながった地点だ。このような伝統を持つため、ヒーバー・クリーパー鉄道の保存にも力が入る。

ソルトレークシティー郊外のプロボ近くから、ヒーバーシティまで、1899年に開通した鉄道が、山をよじ登るようにはしっている。「ヒーバー・クリーパー」というニックネームもここからきている。

ソルトレークシティーの東側、ワサチ・レンジ山脈のリトル・コットンウッド・キャニオンを登ると、「スノーバード」というスキー・リゾートがある。

市内から車で30分ほどのスノーバードは、ソルトレークシティー市民にとって、アウトドア・スポーツを楽しむための格好のリゾートだ。

冬はスキー客でにぎわうスノーバードは、オフ・シーズンはサマー・スクールが開かれる文化施設にもなっている。

ヒーバー・クリーパーは、鉄道全盛時代のアメリカの旅の楽しさを満喫させてくれる。ヒーバーシティー駅。

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