サンタフェ建築のルーツ、インディアンの住居を訪ねて

 サンタフェの町は、ガソリン・スタンド、ショッピング・センター、裁判所、空港のターミナルにいたるまで、あらゆる建物が「アドベ」と呼ばれる、土と藁を固めた日乾煉瓦で作られている。サンタフェのイメージそのもののこの建物のルーツといえるものが、車で北へ一時間ほどいったタオスの町にあった。タオスは、サンタフェと同じくプラザと呼ばれる中央広場がある、スペイン式の町。その町はずれにある、タオス・プエブロ・インディアンの住む集落が、サンタフェ様式の原型なのだ。ニューメキシコ州やアリゾナ州一帯に住む、同じ一派のプエブロ・インディアンの中でも、特に昔ながらの生活を守って暮らしている彼等は、現在も「タオス・プエブロ」と呼ばれる、昔ながらの集合住宅で暮らしている。

 マンションの原型ともいえるタオス・プエブロは、アドベを積み上げて作られたもので、四階建から五階建のものまである。そしてなんと、それらは800年から1,000年も前に作られたものだというのだ。古くはなっているが、まだまだしっかりと建ち並ぶ土色の家並は、なかなか壮観なものだ。

 州内にあるバンダリエ・ナショナル・モニュメントにも同じようなプエブロ・スタイルの建築跡をみることができるが、やはり現在も実際に住んで生活しているタオスの町は、かなり印象深いものだった。

 ニューメキシコ州の北西部に、大平原の真ん中に立つ、高さが五六八メートルある巨大な岩山「ショップロック」がある。この岩山の近くに、紀元900年から1150年まで栄えていたという、アナサジ・インディアンの古代の都市跡が残されているというので、さっそくでかけることにした。

 舗装されていない砂漠の中の一本道を何時間も走った。余りの砂塵に、車が故障しないかと心配しながらも、チャコ・キャニオン・ナショナル・ヒストリカル・パークに無事到着。ここは、当時のアメリカ南西部の文化経済の中心で、いくつか残っているプエブロをつなぎあわせると、一つの巨大な都市が形成されいたことがよくわかる。ここのプエブロは、タオスの物とは違い、アドベではなく岩を積み重ねて作っているのが特徴だ。プエブロの中は、いくつかの部屋にわかれていて、各部屋を家族単位で使っていたらしい。かなり大規模な集合住宅だ。

 町中には縦横に道路が走り、崖には階段までつくられている。町には「キバ」と呼ばれる、円形の集会場もあり、都市としての機能を果たしていたようすがよくわかる。

タオス郊外にある「タオス・プエブロ」は、タオス・プエブロ・インディアンが、何百年にもわたって住み続けてきた集合住宅だ。小川を挟んで両側に、5階建のプエブロが並んでいる。

現在約1500人のタオス・プエブロ・インディアンが農耕をしたり、家畜をかったりして生活している。最近では一般の社会に働きに出ている人も多い。彼等は、英語、スペイン語、自分達の言葉と3ケ国語が話せるのだ。

タオス・プエブロの近く、ランチョ・デ・タオスにある、南西部で最も美しいといわれるセント・フランシス・デ・アシス・ミッション・チャーチ。1800年に建てられた。

タオス・プエブロの外観は、ここ何百年間、まったく変わっていないといわれてる。このプエブロの住民達の間には、きちんとした自活組織があるという。選挙で代表者を選んだり、外敵に対する時のための酋長も決められるのだ。

手前に2つあるのは陶器を焼く釜のようだ。これも土と藁をこねたもので作られている。

一軒で一つの部屋を使う。上の階に住むの人は梯子を使って自分の家へ入る。

許可をもらって撮らせてもらったプエブロの内部。楽器を打ち鳴らすインディアン。

プエブロ内で。重要な収入源の一つ、観光客相手のみやげ店。

メキシコとの国境ぞいに、メキシコ湾まで流れるリオ・グランデ川は、タオスの近くで深い谷になっている。リオ・グランデ・ゴージと呼ばれるこの深い谷にかかる橋が、リオ・グランデ・ゴージ・ブリッジ。橋から谷底まで約200メートル。

タオス・プエブロ・インディアン達は、プエブロで生活する前は、横穴式の住居を作って住んでいた。バンダリエ・ナショナル・モニュメントもサンタフェの近く。1200年から1600年頃栄えた土地だ。

柔らかい砂岩の穴をじょうずに使った、バンダリエのアナサジ・インディアンの住居跡。

時代と共に平地に暮らすようになってプエブロを作った。集会場の「キバ」。

バンダリ・ナショナル・モニュメント内の、円形状のプエブロ。それぞれの四角が一家族の住宅になる。

ニューメキシコ州の北西部は、ナバホ・インディアンのレザベーションになっている。その真ん中にそびえるのが、高さ568メートルの「シップロック」。大海原を走る強大な軍艦のように見えることから、こう呼ばれるようになった。ナバホ・インディアンが、この岩山のふもとで、羊の放牧をしている。

タオス郊外で行われてた、インディアン、ヒスパニック系の人々のオートバイ・レース。

シップロック近くにある、ナバホ・インディアンの小学校。

紀元900年から1150年頃、このあたりの地方には、アナサジ・インディアンの中央集権的な都市が作られていたようだ。横穴式住居からプエブロ住宅に移り、砂漠の真ん中に町を作ったのだ。手前の円形の部分は集会場「キバ」の跡。

スペイン語で「美しいプエブロ」の意味のプエブロ・ボニート。

集合住宅の中は、一軒ごとに区切られていたようだ。

「メサ」と呼ばれる岩山の下に残されていた「プエブロ・ボニート」。ここを中心に四方に街道が作られていることから、ここが当時のこの地方の都だったことが分かる。

プエブロ・ボニートの中にあった、大きな「キバ」。サンタフェの州議事堂を思わせるものだ。ここで南西部一帯の政治をつかさどっていたようだ。

キバでおこなわれていた政治は、祭事を重んじて行われていたようだ。時には、太陽を利用して奇跡をおこすトリックも演じられていた。

このまどから太陽が入り、後ろの壁の印にあう日が一年に2回ある。天文学を知らない当時のインディアン達にとっては、まさに奇跡の日なのだ。

奇跡を起こす人を「メディシン・マン」と読んでいた。彼等は、当時から天文学的な知識を持っていたため、奇跡を起こす人として崇められていたようだ。

ロッキー山脈のような急な山道の少ないニューメキシコ州では、大陸の東西を結ぶ交通が発達していた。古くはサンタフェ・トレイル、そしてサンタフェ鉄道、現在はトラックや航空機輸送が盛んにおこなわれている。何輌もの機関車を繋いだサンタフェ鉄道の貨物列車は、今日も長い貨物列車を引っ張っている。

石炭の積み出し駅だったギャラップには、現在アムトラックの旅客列車がやってくる。

ギャラップ駅に停車中の2階だての客車。往年のサンタフェ鉄道を思い出させてくれる。

ギャラップの市街地を抜ける「ルート66」、国道66号線だ。

TVドラマでも知られる「ルート66」のギャラップは、インディアンとの取り引きの町だ。

インディアン・ジュエリーのターコイス、トルコ石が多く産出されたことから、「ターコイス・トレイル」と名付けられた道があった。

ターコイス・トレイルの途中にある炭鉱の町、マドリッドは、サンタフェ鉄道が石炭を使わなくなってしまってゴーストタウンになってしまった。シャッターの音でも倒れてしまいそうな建物が立ち並んでいる。

ターコイスを始めとするインディアン・ジュエリーを求めて、世界中からバイヤーがやってくる。

マドリッドの隣の町は、セリロス・プエブロだ。現在のプエブロの市長は、インディアンではなく、この人。

ギャラップからアルバカーキーへ行く途中には、小さな火山がたくさんある。この人はいくつもの火山を個人で所有していて、これから火山を公開して、ここを観光地にしていきたいと語っていた。

ターコイス・トレイルのセリロス・プエブロ。プエブロ・スタイルの町だが、現在はインディアンの人々は生活していない。現在住んでいるのは、インディアン文化に興味のある人達だ。

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