ニューメキシコ州

 50州の内の、47番目の州ニューメキシコは、州としての独立は遅いが、インディアンの手により、早くから文化的にも経済的にも発達した土地だった。1600年代、北東部でようやく植民地ができ始めた時代よりもさらに100年も前に、メキシコから進んできたスペイン人によって、インディアンの都市が発見されているのだ。

 そこでは、プエブロ・インディアンが「アドベ」というレンガを使った集合住宅で都市生活を営んでいたらしい。そしてそこを訪れる遊牧民のアパッチ・インディアンや、ナバホ・インディアン達が、その文化を吸収、定住したり移動した先にその文化を伝えたりしたのだ。

 ニューメキシコ州でインディアン文化と共に、伝統的な文化といえばスペイン文化。最初に入ってきた探検隊以降も、数多くのスペイン系、メキシコ系の人々がこの地を訪ね住みついた。現在この州は、スペイン語を話す人、ヒスパニック系の人々が全米一多く住んでいる所でもある。

 海抜1,200メートル以上の土地が全体の85%を占めるこの州は、灌漑が行われている所以外は農業には適さず、まるで不毛の土地のようだが、実はここには全米の四五%以上の産出量を誇るウラン鉱山があるのだ。このためこの州には、原子力エネルギーや、宇宙ロケット開発の本部が置かれている。

アメリカ最古の都市、サンタフェとアルバカーキー

 サンタフェで一軒のギャラリーを訪ねた時、何人かの芸術家と話しをする機会があった。「どうしてサンタフェに住んでいるのですか」という私の質問に全員が、「ここにはアメリカ本来の文化が残っているから。そして強烈な太陽と、砂漠の砂の色、そして青い空の色があるからです」と答えてくれた。この所、日本でも大勢の人に知られるようになったサンタフェだが、アメリカ人にとってサンタフェは、どうも他の都市とは違う、特別な意味を持つ都市のようだ。

 何よりもまず特徴的なことは、この町はアメリカ大陸の開拓者によって作られた町ではないということ。アメリカ大陸の東の方から開拓してきた開拓団がこの地に到着したときには、すでに先住インディアンと、メキシコからやってきたスペイン人達によって、確固たる文化が築かれてしまっていたのだ。

 サンタフェの町では、現在でも地元のプエブロ・インディアンの伝統を非常に大切にしている。インディアンが祭りごとを行うための「キバ」という集会場のデザインを、州議事堂の設計に取りいれているし、また、この町では、建物はインディアン文化を伝える建築様式を取り入れたものにしなければならないよう、法律で決められているほどなのだ。インディアン文化を払拭して発展してきたアメリカの他の地方の人にとっては、サンタフェのように、インディアン文化の基礎の上に成り立っている都市というのは、一種独特な感慨を抱かせてくれるようだ。そんな思いが強い人々が移り住んでくるようになって、地元の伝統に根付いた、独特な芸術が生まれているのだろう。

 私が初めてサンタフェの存在を知ったのは、広大な原野を走る、大陸横断鉄道でもあるサンタフェ鉄道の写真から。そんな思い出もあって、ある時サンタフェ駅を訪ねてみた。サンタフェ鉄道というからには、さぞかし大きな駅なのだろうと思ったら、そこには貨物の引き込み線の終点になっている、小さな駅があるだけ。全米をネットする旅客列車、アムトラックも、引き込み線へも入らずにす通りで過ぎていってしまうというのだ。

 一方、その昔メキシコからの銀食器などをミズリー州まで運んでいたといわれる、サンタフェ街道のほうはどうなっているかというと、こちらのほうも鉄道と同様、まったく存在感のないものだった。道路名を示す小さな標識がなければ、他の道路とまったく区別がつかず、市街地に入るとかろうじて観光バスが走っている程度だ。どうもサンタフェの人は、アメリカ合衆国になってからの歴史よりも、それ以前の歴史のほうが重要だと考えているようだった。

 サンタフェから車で1時間ほどの所に、ニューメキシコ州最大の都市、アルバカーキーがある。こちらは、原子力エネルギーの研究が盛んで、空港前には近代的なホテルが建つ。学生数二万五〇〇〇人のニューメキシコ大学もあり、高層ビルが建ち並ぶ典型的な近代都市。と思って町を歩いて見ると、町の一角に中央公園(プラザ)があるではないか。この町も、1706年以来の伝統を持つ、スペイン式の古い町だったのだ。

 この町で一番古い教会、サン・フィリペ・デ・ネリ教会では、日曜日の礼拝が、スペイン系の神父によって行われていたところだった。

サンタフェの魅力は、カラリとした砂漠地帯の真っ青な空と、土色の家のコントラストだ。

現存する町では、アメリカ合衆国最古のものといわれるサンタフェは、町中が、プエブロ・インディアンの住居スタイルになっている。ニューメキシコ州の州都だというのに、高層ビルは一切なく、スペイン風の中央公園を中心に、日乾レンガを積み上げた建物だけが並んでいる。

町中の建物が、プエブロ・インディアン・スタイルに統一されている。ラ・フォンダ・ホテル。

サンタフェ・スタイルを代表する「サンタフェ美術館」。プラザの正面に建っている。

ニューメキシコの州議事堂もインディアンの集会場「キバ」スタイル。

サンタフェのプラザは、サンタフェ街道の終点にもなっている。終点を示す碑。

空から見たサンタフェの市街地。ほかのアメリカの都市とはまったく違う景色がひろがっている。左側に円形に見える建物が、「キバ」のデザインとりいれた、州議事堂。右のほうには、四角、「プラザ」と呼ばれる中央公園がある。まるで、プエブロ・インディアンの集落のように見える。

地理的には、ロッキー山脈につながる山岳地帯に位置するニューメキシコ州。このあたりは、「メサ」と呼ばれる、頂上が平坦な岩山になっているところが多い。サンタフェの町も、一歩外に出ると西部の他の地方同様、砂漠地帯に近い、乾燥した自然が続いている。

サンタフェ鉄道のサンタフェ駅。大陸横断鉄道として知られたサンタフェ鉄道の駅にしてはあまりにも小さな駅舎。貨物専用の引き込み線の終点の駅なのだ。

サンタフェ駅に定期的にやってくる貨物列車。最後尾に連結される「カブース」と呼ばれる車掌専用の車両には、大きく「サンタフェ」のロゴ・マークが入っていた。

サンタフェの「プラザ」から、ミズリー州のインデペンデスまで続く、「オールド・サンタフェ・トレイル」。サンタフェの終点近くを行く、定期観光バス。

大陸横断高速道路のインターステイト40号線や、国道、ルート66がサンタフェの南を東西に通り抜けている。

サンタフェ街道や、サンタフェ鉄道が東西に物資を運んでいた伝統は、現在、インターステイト・ハイウェイ・システムを走るトラック輸送にとってかわられたようだ。アルバカーキー郊外で。

サンタフェでアートギャラリーや、専門店を探すのには、キャニオン・ロードに行くのが良い。評判の店がサンタフェ川沿いに軒を並べている。

キャニオン・ロードには、陶器や革製品のクラフトの店、織物、衣類、手作り家具、ガラス工芸品、芸術写真の専門店など、サンタフェ・アートを代表する店が並ぶ。

プラザの南側の通り、サン・フランシスコ・ストリートに面した、ラ・フォンダ・ホテルの敷地内にも、サンタフェらしい店が並んでいる。正面は、セント・フランシス・カテドラル。

プエブロ様式の特徴が良くわかる建物。町中の建物が同じプエブロ様式になってるが、この建物はとくに、「ビガス」という、天井のビームがおもしろい。

サンタフェの町の建物は、全部土でできた日乾レンガでできているわけではない。最近ではコンクリートで固めている建物も多いが、伝統の味は良く残している。

セント・フランシス・カテドラルだけは例外だ。フランスのロマネスク調の建物で、1869年に建てられた。

左側の建物がアメリカ最古のサン・ミゲル・ミッション。右側の小さな建物が、800年以上も前にインディアンによって建てられた、個人の住宅としてはアメリカ最古ものだ。

サンタフェ街道とデ・バルガス・ストリートの角に建つ、サン・ミゲル・ミッションの正面。1600年の始めに建てられたと見られている。プラザから3ブロックほどの所、サンタフェ川を渡ったところにある。

町中がプエブロ・スタイルだ。裁判所だって例外ではない。

ショッピング・センターも、もちろんプエブロ・スタイル。

ガソリン・スタンドもプエブロ・スタイルに調和するように作られている。

大手航空の乗り入れを拒否しているサンタフェ空港も、プエブロ・スタイル。

アルバカーキーは、サンタフェから車で一時間ほどのところにある。「オールド・タウン」とよばれるスペイン風の町造りが魅力だ。しかし、最近では原子力エネルギーや宇宙ロケットの研究の町として注目され、最先端を行く町の代表にもなっている。

アルバカーキーのオールド・タウンにある、サン・フェリペ・デ・ネリ・ミッション。

プラザの一角にある、インディアンの経営する民芸品の店。サンタフェで。

深い軒下のある建物が、プラザを囲むように建てられている。ここサンタフェを始め、アルバカーキー、タオスなどもこういうスタイルの町だ。

インディアンの民芸品を売る店。アルバカーキーのオールドタウンのプラザで。このあたりの店は、ナバホ・インディアンの銀の装飾品の店が多いようだ。

ポピ・インディアンの太陽神をあらわす人形。サンタフェのホィールライト・ミュージアムで。

羊を飼うナバホ・インディアン達の特産品、手作りの敷物、ナバホ・ラグ。

プラザを囲む建物の軒下に並ぶインディアンが出している出店。まるで絵のようにきれいにならべている。

ナンベ・プエブロという、プエブロ・インディアンが作る独特の食器。アメリカを代表する食器の1つだ。

南西部地方のインディアンは、それぞれに伝統のあるデザインの陶器を作り続けている。アコマ・インディアンの食器。ホィールライト・ミュージアムで。

この地方のインディアン達は、バスケット・メイカーとしても知られる。アパッチ・インディアンの作るかご。ホィールライト・ミュージアムで。

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