アリゾナ州

 人工衛星からでもその姿が確認できるという雄大なグランド・キャニオンは、まさしくアメリカを代表する景色にふさわしいもの。このグランド・キャニオンがある州が、アリゾナ州である。

 アメリカ本土四十八州の中の最後の州、アリゾナ州は、長い間メキシコ領だったのだが、一八四八年にアメリカ領となり、その後銅の産出などで栄え、一九一二年、ようやく州として独立したのだ。

 1940〜1950年頃、この地方の人口は2〜3倍に増加して急速な発展をとげた。これは、ダムの建設やエアコン、電気冷蔵庫の普及などで、暑く乾燥したこの地方でも人々が快適に生活できるようになったことによるもの。仕事を引退した人々が、土地が安く手に入り太陽の光に恵まれたこの地方へ移り住み初め、また企業が寒い中西部や北東部から光熱費が節約できるこの地方へ工場を移転し始めたのだ。

 パパゴ・インディアンの言葉で「小さな泉」という意味を持つアリゾナは、アメリカの中でも極端に水の少ない州として知られてきた。近年、灌漑によって水を引き込むことが可能になり人々の生活も潤ってきた。しかし、その一方では、不必要な手を入れずできるだけ砂漠の自然を残そうという研究も熱心に続けられているのだ。

深さ1.6キロ、幅28キロ、世界一の谷、グランド・キャニオン

 「シーイング・イズ・ビリービング」、「百聞は一見にしかず」ということわざがぴったりくる場所グランド・キャニオンは、ここまでやってくる手段や苦労に関係なく、訪れるものを感動させる雄大さを持っている。300万年から600万年かかって川の流れと雨、風、雪、霜、太陽熱などで浸食されてきた巨大な谷は、地球の歴史を物語ってくれる貴重な資料だ。そのスケールの大きさを理解するためには、実際にそこへ行って、自分の目でみるしかないだろう。

 サウス・リムの見晴らし台を西から東、東から西へカメラをかついで行ったり来たりしてみたが、相手があまりにも大きすぎて、アングルに変化のつけようがない。レンズを変えたり、時間帯を変えたり、そしてその後何年もかけて季節を変えたりと、思いつく限りの方法をためしてみたのだが、谷の縁を車にのって移動しているだけでは、まるで蟻が崖っぷちをウロウロしているようなもの。とうてい太刀打ちできない感じだ。

 展望台から望遠レンズでのぞいてみると、下の道に小さく動くものが見えた。“ミュール”と呼ばれるラバに乗った、キャンプ・ツアーの行列だ。国立公園局のパーク・レンジャーが案内してくれるこのツアーは、何ケ月も前から予約しておかないとだめなほど人気のあるツアーらしい。長い間、深い谷底を見るためには、こうやって降りて行かなければ行けなかったのだ。

 ところが最近、ヘリコプターで簡単に降りられるようになったという。さっそく乗り込んで谷底へ向かうことにした。

 ヘリコプターから馬に乗り換えて、案内役のインディアンの後をついて行く。数十分後、馬の鞍まで水につかりながらようやくハバスの滝の脇にたどりつくことができた。何千年ものあいだ外部から隔離され、自給自足の生活を続けてきたハバスパイ・インディアンが、現在も当時と変わらぬ姿で暮らしているという谷底は、さながら桃源郷の世界。感動してあたりを見回してみると目に入ってきたのが一軒の大きな近代ホテルだ。残念ながら、外界の風はこの谷底にも確実に吹き込んでいるようだ。

 ある時、グランド・キャニオン国立公園のビジター・センターに展示してある、世界中の芸術家の手によるグランド・キャニオンの作品群の中に、祖父、吉田博の小さな木版画を見つけた。七十年前、祖父は北東部のボストンから何日もかけて、延々と鉄道を乗り継いでここまでやってきた。当時祖父の目に映ったその景色とまったく同じ景色を私は、快適なハイウェイを走り、そのまま車を展望台脇に横付けして見ているのだ。

アリゾナ州は、その美しさでは他の州の追随を許さない。専門の写真雑誌「アリゾナ・ハイウェイズ」まであるほどだ。

地球規模の自然を感じさせてくれるのが、グランド・キャニオン。1919年に国立公園に指定された。

グランド・キャニオンを見晴らす南側の崖は、サウス・リムと呼ばれている。1900年代の始めに建てられたエル・トバー・ホテルを始め、数多くのホテルが立ち並ぶグランド・キャニオン・ビレッジが、サウス・リムの中心だ。緑の森の高原の中に突然深い割れ目が出現、ここから谷底まで1372メートル。

グランド・キャニオンの麓の街、、フラグスタッフには、古くからサンタフェ鉄道が通っていた。ここから、グランド・キャニオン鉄道に乗換えることができたのだ。

国立公園に指定される前から、ここへは鉄道が必要なほど大勢の観光客が訪れていた。現在、この鉄道の再現計画もあるという。

被写体が大きすぎて、写真に変化をつけるためのカメラ・アングルを設定するのが非常に難しい所だ。もっとも、その分だけ挑戦するきもちもわいてくるのだが。

展望台から谷底をのぞいた景色は圧巻。実際に現場に立たないと実感が沸かない所だ。

デザート・ビューのワッチタワーで谷底のコロラド川と、森林地帯を同時に見る。

一番下の地層は、約20億年も前のもの。一番上の層でさえ、一億8000年前のものだといわれている。中には爬虫類の足跡や、シダの化石などが残っていて、地球の歴史、生物の歴史を知る上でも重要な所だ。光の角度と共に刻々と変化する美しい景色もさることながら、その歴史の重みは見るものを感動させてくれる。

谷底を目指してヘリコプターに乗ってみた。そこではつい最近まで外界とは隔離された生活を送ってきた、ハバスパイ・インディアンが住んでいるのだ。谷底に近付くと、コロラド川もはっきりと見えてきた。

地球の大自然が何百万年もかけて浸食してきた姿が手に取るように良くわかる。谷底のハバスパイ・インディアン・レザベイションの近くで。

谷底への途中で、800年ほど前までアナサジ・インディアンの人々が住んでいたという、“クリフ・ドウェリング”と呼ばれる断崖絶壁に作られた横穴住宅を見つけた。

グランド・キャニオン・ビレッジの下には、小さなトレイルがはしっている。ラバの背中にのって、キャンプをしながら谷底へ向かうグループの姿が見えた。

グランド・キャニオンの周囲を小型飛行機で飛んで見た。モニュメント・バレーと同じような形をしたものもある。

谷底のハバスパイ・インディアン達の住むレザベーションとハバス滝が見えてきた。

この谷底で何千年もの間続けてきたというハバスパイ・インディアンの農家。彼等は禁酒の生活を続けているらしい。

ハバスパイ・インディアンの人々によって、観光客用のハバスパイ・ロッジが作られた。彼等の生活も少しずつ変わってきているようだ。

近代的なホテルも建てられた。客室数24という小さなホテルだが、インディアン達にしてみれば、まったくの異文化の出現だ。

谷底の交通機関は、歩くか馬の背にゆられて行くしか方法がない。馬の鞍の中ほどまで水につかったり、こんな崖の道を歩いたり。

ヘリコプターが谷底に到着すると、ハバスパイ・インディアンの人が馬を用意してくれて、ガイドもしてくれる。

ハバスパイ・インディアンとは、ブルー・グリーン・ウォーターの人々という意味。ハバスの滝の水の色がターコイスの石のように美しく輝くことからきているという。

崖の上のグランド・キャニオン・ビレッジの展望台では、地元のインディアンのダンスを披露してくれた。

国立公園に隣接して、いくつかのインディアンの居留地がある。

グランド・キャニオン国立公園内のビジター・センターにあるミュージアムで、祖父(吉田博)の木版画(中央)を見付けた。1925年作。

この他にも、ヤバパイ・ミュージアム、ツサヤン・ミュージアムなどがあり、地質学的なものから、インディアン文化まで、幅広い内容の展示がおこなわれている。

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