サンフランシスコの北に広がるもう一つのカリフォルニア

 カリフォルニア州というと、サンフランシスコとロサンゼルスばかりがポピュラーになりすぎて、それ以外の場所がほとんど知られていないのが実情だ。この二つの都市以外にも、州都のサクラメントを始め、カリフォルニア・ワインの産地ナパバレーなど、魅力的な街がいくらでもあるのだ。その中でも特にこれから紹介する二つの街は、私にとってとても印象深い所だ。

 サンフランシスコの北にある小さな谷、ナパバレーは、この地方の気候、風土がヨーロッパのワインの産地とにていることに着目した人によって、ぶどうの栽培が開始されたところ。ヨーッロッパの生産技術を徹底的に研究することによって、現在ではアメリカ一のワインの産地に成長した。

 もともと私はワインの味などにはほとんど興味が無く、赤ワインと白ワインの区別さえ色を見なければ分からないほどだった。その私が、ナパバレーを訪ね、道路脇にずらりとならんだ「ワイン・テイスティング・ルーム」を軒並み訪ねることによって、自分なりの味の好みも見つけるほどに成長したのだ。

 私が一番おいしいと感じたワインは、通りすがりにふらりと立ち寄った、小さなワイナリーのワイン。ワイナリーというには、あまりにも小さな農家の庭先で、一人のおばあさんが、自分でつくったワインを飲ませてくれるというものだ。もちろん保存料など一切使っておらず、その深みのある手作りの味は、その農家の雰囲気とあいまって、いまでも忘れられない。

 「マンダビ」という、日本でも有名なワイナリーは、この農家の手作りのワインとは正反対、高級ワインの大量生産で有名な所だ。農家から糖分の多いぶどうを買い付け、コンピューターを駆使して、ヨーロッパのワインを研究、ライバル社に勝るワインを造っているのだ。ここのワインは、くせが無く、基本に忠実でいつでも安心して飲める味。

 ワインの街ナパバレーとともに、ぜひ紹介したい所は、カリフォルニアを代表するアーティスト・コロニーメンドシーノ。

 ゴールデン・ゲート・ブリッジを渡って車で北へ約三時間、太平洋岸にある、小さな村メンドシーノは、日本でいえば過疎の村といった所だが、この10年で人口が1500人から2000人に増えているというから、これから大きくなる可能性を秘めた村ともいえる。太平洋岸の丘の上には、ニューイングランド地方の海のリゾートを思わせる可愛らしい建物が太平洋に向かって建ち、村全体が絵になるといった感じの所だ。

 地元でギャラリー「ザッカス・ベイウィンド・ギャラリー」を営むザッカ氏が、父の木版画を扱ったことがきっかけで訪れたメンドシーノの村だが、最初は、どうしてこんな小さな村で日本人の木版画が売れるのか不思議に思ったものだ。今考えれば、もともとアート&クラフトのサマースクールが開校される村として発展して来たこの村には、芸術を志す人々が大勢いる。当然日本の版画に興味を持つ人もいるわけだ。10年程前、父とザッカ氏の間で持ち上がった、メンドシーノとアート&クラフト学校がある長野県の美麻村との姉妹都市の話は、双方の村議会で可決、世界最小の姉妹都市関係が結ばれたのだ。

 捕鯨反対運動が活発な村メンドシーノの人々は、日本人に対してはとても優しいし、理解もあるのだが、こと捕鯨に関してだけはなかなか厳しい意見を持っている。捕鯨反対運動が一番熱を持っていた時期にメンドシーノを訪ねた時には、会う人ごとに「日本人はどうして鯨をたべるのか」と質問されたものだ。彼等の真剣なまなざしに、当時、確かな意見も持っていなかった私は、たじたじになってしまったのを思い出す。

サクラメントは、ゴールドラッシュ時代に発展し、1854年に州都になった街。これは当時のお金で260万ドル、20年の歳月をかけて建てられた州議事堂。

オールド・サクラメント・ヒストリック・ディストリクト。西部開拓時代、ミズリー州セントジョセフを出発した早馬郵便ポニーエクスプレスが到着した町だ。

このアメリカン・リバーは、ゴールドラッシュの中心になった川。サンフランシスコ湾から、大型船が入る水路として利用されていたのだ。

フリーウェイ網の充実したカリフォルニア州。サクラメントからサンフランシスコの間も、インターステイト80号線の8車線道路で結ばれている。

ヨーロッパ・ワインを急追するカリフォルニア・ワイン。ヨーロッパ・ワインがチェルノブイリの影響を受けている間に、その差はますます縮まったようだ。ナパバレーを中心に、サンフランシスコの南、モントレー半島や内陸のフレスノあたりまで、さらには北のワシントン州まで、ワイン生産の地域はどんどん拡大している。

ヨーロッパ各地のワイナリーが持つ自然の条件を全部そろえているという、ナパバレー。

ナパバレーを抜ける州道29号線沿いには、多くのワイン・テイスティング・ルームが並ぶ。

ワイナリーの中には、工場を一般公開している所もあり、生産工程を見ることができる。

ほとんどのワイナリーでは、それぞれの特徴を説明してもらいながらの試飲は無料。

サンフランシスコからゴールデン・ゲートを渡って北へ。日本人にはあまりなじみのない所だ。橋を渡ってすぐ、太平洋岸沿いに北上している国道1号線に入ると、ミュアー・ウッズ国定公園のレッドウッドの森がある。その先が、夏でも人影まばらな写真のスティンソン・ビーチ。

さらに北、オレゴン州までの海岸は、自然のままの美しい海岸線。

北カリフォルニアは、昔から知る人ぞ知る別天地。美容のためのベリーダンス。

ポイント・レイズ国立海岸公園も、サンフランシスコのすぐ近くにある穴場。カリフォルニアの海岸を昔の姿のままに残している所だ。

カリフォルニア州の州の木、レッドウッド。レッドウッドの森は、サンフランシスコからオレゴン州に入るまで、「レッドウッド・ハイウェイ」と呼ばれる国道101号線沿いで楽しめる。サンフランシスコに一番近いのが、ミュア・ウッズ、その他、アベニュ・オブ・ジャイアンなどの州立公園、レッドウッド国立公園などたくさんのみどころがある。

木こりの物語に登場するポール・バンヤンは、レッドウッドのように背の高い大男だ。この物語やレッドウッドの木をテーマにしたテーマ・パーク「ツリー・オブ・ミステリー」にて。

公園に指定されていない所では、このように記念撮影用に、レッドウッドの木をくりぬいて、トンネルを作っているところもあった。

太平洋に面した丘の上に、ニューイングランドやケープコッドを思わせるような建物が立ち並ぶ、メンドシーノ。将来はカーメルのようなアーティスト・コロニーになるだろう。

メンドシーノは、長野県の美麻村と姉妹都市になっている。共通点は、それぞれに「アートセンター」を持ち、人口が2000人以下ということ。

メンドシーノがアーティスト・コロニーと呼ばれるようになったのは、このアート・センターができてから。

片側が太平洋に面した崖になっている目抜き通りには、何軒ものギャラリーが建ち並ぶ。

メンドシーノの近くでみつけた、ウォール・ペインティング。基本的に農業国であるアメリカでは、現在でもこのような農村の生活に憧れる人が多い。

メイン・ストリートの突き当たりは太平洋。夕日の先は日本だということで、日本をとても身近に感じているようだ。

捕鯨反対運動の最先端をいくメンドシーノ。太平洋での捕鯨漁が盛んな頃には、漁港も作られていたが、現在ではもっぱら望遠鏡で鯨を見つけて楽しむだけ。

アーリー・アメリカン調あり、ニューイングランド調あり。メンドシーノでは、どの建物を撮っても絵になってしまう。

姉妹都市締結に協力したザッカ氏のザッカス・ベイウィンド・ギャラリー。版画家でその上親日家の彼は、日本の東海道53次の版画も完成させている程。

健康志向の村、メンドシーノ。食べ物も、体にいいものが一番良く売れるという。週末のメイン・ストリートの出店で。

南北に5ブロック、東西に10ブロックというのが、メンドシーノのすべて。村の中はまるで安全な公園の中のようだ。

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