サンフランシスコ湾を囲むベイエリア

 いくつもの丘によって形成されている半島の街サンフランシスコは、観光の街であると同時に、古くからの金融の街でもある。「西海岸のウォール・ストリート」とも呼ばれ、近年、その華やかさに陰りが見えてきているとはいえ、ファイナンシャル・ディストリクトにある銀行街など、伝統の重さを感じさせるところがあちこちにある。

 長年、狭い半島の中に、産業、文化、そして人々の生活とすべてを集約してきたサンフランシスコだが、近年、さすがにおさまりきれなくなったと見えて、ゴールデンゲート・ブリッジ、ベイ・ブリッジなどを介して、じわじわとはみだして、街自体が広がってきているようだ。そしてその一帯をさして、「ベイエリア」といっているのである。

 ベイショア・フリーウェイと呼ばれる、国道101号線に乗って、空港から南周りに走ると、サンマテオ・ブリッジのたもとにある、フォスターシティーに到着。ダウンタウンからそれほど遠くない新興住宅地で、郊外のゆったりした雰囲気が味わえるようになっている街造りが特徴。サンフランシスコの町中のベイウィンドのあるアパートもいいが、このような所に住むのも楽しそうだ。

 次に訪ねたのが、1891年、当時の上院議員だったスタンフォードによって設立された名門スタンフォード大学。広大な敷地をもって生まれたこの大学は、西海岸の不動産ブームにのって、莫大な資産を手にいれた。最近では、その資産を生かし、敷地の中にサンフランシスコ郊外でも最高級のショッピング・モールまで作ってしまったのだ。そこから生じるテナント料を、学生からの授業料にプラスし、世界各地から一流の教授を集め、最高水準の教育ができるというわけだ。

 このあたり一帯は一般に「シリコンバレー」と呼ばれるアメリカのコンピューター産業の一大中心地になっている。特にエネルギー資源に恵まれているわけではないこの土地では、スタンフォード大学やカリフォルニア大学バークレー校を始めとする一流教育機関から輩出される、優秀な頭脳が一番の資源だ。シリコンバレーの中心、サンノゼは古いビルはほとんど取り壊されて近代的なビルに生まれ変わっていることもあって、いかにもアメリカ最先端といった印象をうける街だ。

 日本でも東京湾に面した千葉県などで、「ベイエリア」ということばを使っているようだが、サンフランシスコ湾に面したこのあたり一帯のベイエリア文化経済圏に比べると、まだまだ、ビジネス都市とベッドタウンの域から抜け出せてはいないようだ。

太平洋岸から飛び立った、ハンググライダー。ベイエリアのデイリーシティーの丘の上に建ち並ぶ住宅街を眼下に眺めながら、海岸へ無事着地。

サンフランシスコ空港から南に行くと、サンフランシスコ湾の真ん中を横切っている有料道路、サンマテオ・ブリッジにぶつかる。この橋もベイエリヤ発展の原動力になっている。

湾岸地域から内陸へ入るとまもなく、カリフォルニア特有の乾燥地帯にでる。最近ではこのあたりも都市化が進み、リバモア郊外には大規模な風力発電所なども建設されている。

太平洋の荒波も、サンフランシスコ湾から狭いゴールデン・ゲート海峡に入ると急激におさまり、湾内奥深くに開発されたニュータウン、フォスターシティーあたりでは、まるで湖のような静けさだ。何本もの運河を引き込んである町は、アメリカ版「ベニス」といった雰囲気。

サンノゼの目抜き通り、マーケット・ストリートにあった、噴水のある小公園。

サンフランシスコ湾に面して作られた、マリン・ワールド。海洋動物園。

サンフランシスコ湾に沈む夕日が美しい、ピードモントの高級住宅街。

バークレーの町では、「ホット・タブ」を楽しむ人が多い。

サンノゼのケリー・パーク内にある、「サンノゼ・ヒストリカル・ミュージアム」。野外博物館というよりは、日本の明治村のようなもの。サンノゼの昔の町並みが保存されている。

サンノゼで昔活躍していた市電を復活させて、サンフランシスコのケーブルカーに対抗しようという運動も。市電の技術指導を受ける若者達。

部品もできるだけ当時のものを使うようにしている。一時は全国的にほとんど廃止された市電だが、最近はあちこちで復活の声があがっている。

世界が自動車の時代に変わってから、かなりの時間がたってしまったようだ。すでに博物館入りするガソリンスタンドすら出てきている。サンノゼ・ヒストリカル・ミュージアムで。

サンノゼの昔の姿をそのまま保存してる、サンノゼ・ヒストリカル・ミュージアムの目抜き通りにある、市電とエレクトリック・ライト・タワー。左側のタワーは、1881年当時最新のアーク灯。このタワーの光だけで、サンノゼの町全体を照らそうという試みは、失敗に終わったそうだ。

1884年から1922年に持主が死亡するまで、増築され続けた、ウィンチェスター・ミステリー・ハウス。持主はウィンチェスター銃を作った人の未亡人で、銃で死亡した人の霊魂に悩まされ続けていたという。

160もある部屋の他に、ウィンチェスター・ライフル銃の博物館になっている部屋もある。ウィンチェスターは、西部開拓がこのあたりにおよんできたころ、最もポピュラーだった銃のメーカー。

今や、日本との経済的なつながりなしには語れないという西海岸。サンノゼには、日本の資本によって経営されているという、マクドナルドもある。

日本資本の経営だとはいっても、もともとはアメリカ式のフランチャイズ店。店内は他の店と何の変わりない。

たとえマクドナルドでの食事といっても、敬けんなクリスチャン達は、感謝の気持ちをこめたお祈りを欠かさない。

日本の資本の気配を感じさせてくれるのは、店長を含めて数人いる、日本人従業員だけ。

日本車にのって、日本人が経営するマクドナルドに来て食事。これも西海岸の普通の人々の生活だ。

アメリカを代表する名門、スタンフォード大学。当時上院議員だったスタンフォードが、1891年、15才で死んだ自分の息子を思って建てた大学だ。大学の中心には、ロマネスク様式のメモリアル・チャーチがあり、見事なイタリア様式のモザイクとステンド・グラスがみられる。学生数1万3000人。

戦争、革命、平和を研究するフーバー研究所も構内にある。

スタンフォード大学が経営している、高級ショッピング・センター。

広大な敷地に校舎が点在するキャンパス内では、校舎間の移動には自転車が必要不可欠。

カリフォルニア大学バークレー校。UCLAなど、全部で9校ある姉妹校の中で、一番古いキャンパスを持つのが自慢。

古い格式と伝統を持つカリフォルニア大学バークレー校、通称UCバークレーには、アメリカでは珍しい、「校門」がある。

サンフランシスコ湾の東岸の丘の上にある、有名なリック天文台。カリフォルニア大学の一部門だ。

スタンフォード大学と肩を並べる西海岸の名門校、UCバークレー。サンフランシスコからは、地下鉄バートで簡単に来ることができる。古い伝統を持つ大学だが、西海岸独特の自由な雰囲気も感じられる。1960年代には、「フリー・スピーチ運動」が起こり、全米の大学紛争の発端となった所でもある。

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