日本人の初恋の街、サンフランシスコ

 今日、アメリカのかなりの都市に向けて直行便が出ている日本では、アメリカ合衆国はすっかり身近な国として受け入れられている。しかし少し前まで日本人にとってのアメリカは、太平洋のずっと先にある遠い国。そのアメリカにあってサンフランシスコの町は、はるばるやって来た太平洋横断航路の船や飛行機が到着する、アメリカの玄関といった所だった。街には大規模なチャイナ・タウンや日本人街もあり、より身近に感じられるこの街は、当時の日本人にとっては、アメリカ=サンフランシスコというイメージすらいだかせるものだったのだろう。

 かくいう私も、25年前始めてアメリカの地を踏んだ時、最初に到着したのがこのサンフランシスコだ。一目みて大好きになったこの街は、私の初恋の街のようなもの。その後、アメリカの隅々まで旅するようになり、各地の様々な姿に感動し、興奮しても、心のどこかには、サンフランシスコに対する恋心は根強く残っている。

 そんな、アメリカの代名詞的役割を果たしているともいえるサンフランシスコだが、1848年、メキシコからアメリカの領地にかわる時点では、人口が800人という、ちいさなミッションの町に過ぎなかった。その翌年あたりから活発になったゴールドラッシュがこの町の運命を変えることになったのだ。多くの人が金鉱を求め、海を渡ってサンフランシスンコの港に上陸、一瞬にして人口は一万人に膨れ上がった。また、同時に大陸横断鉄道建設のための労働力として、多くの中国人もこの港へ到着してきた。こうして中国人街ができあがった。1873年には坂の多い街の交通手段として現在のようなケーブルカーも出現、わずか30年たらずで小さな村から大都市へと大変身をとげたのだ。

 半島の街サンフランシスコは、いくつもの丘の中にある街だ。三方を海に囲まれている条件は、ニューヨークのマンハッタン島にも似ている。ただ、市内に立ち並ぶ隣との隙間がないアパートや、急な坂にむりやり一本道を作ってしまった街造りは、サンフランシスコ独特の雰囲気をかもしだしている。

 一つの半島の中におさまっているサンフランシスコでは、これ以上の人口の増加は物理的に不可能。そのため、最近カリフォルニア州第二位の都市の座をサンディエゴに明け渡してしまった。しかし、「ウォール・ストリート・オブ・ザ・ウェスト」というニックネームと、独特な伝統文化を持つこの街は、西海岸全体の金融と文化の要の都市には違いないようだ。

1770年代、スペイン系のミッションの周りにできた、ヤーバブエナという小さな街が、サンフランシスコの始まり。ミッション・ドロレス」とも呼ばれる「ミッション・サンフランシスコ」。街の名前の由来でもある。

サンフランシスコには、展望台のある「テレグラフ・ヒル」、マーク・ホプキンスやフェアモント・ホテルのある「ノッブ・ヒル」、この写真を撮った「ロシアン・ヒル」など、全部で43の丘がある。

半島の中央の方には、さらに大きな「ツインピークス」と呼ばれる双子型の丘がある。良く晴れた日に、ツインピークスのドライブ・コースを登ってみると、サンフランシスコの全景が手にとるようにわかる。

ロシアン・ヒルの頂上に建つ高層アパートの最上階、ペントハウスのバルコニーからみた、早朝のサンフランシスコ。東にはテレグラフ・ヒルの展望台、その右側には1936年に完成した、「サンフランシスコ・オークランド・ベイ・ブリッジ」通称「ベイ・ブリッジ」が見える。

サンフランシスコの市庁舎はまるで州議事堂のようだ。右側はオペラハウス。

このオペラハウスは、第二次大戦後、日米講和条約が締結されたところでもある。

1870年代にはすでに町並みができていたという、サンフランシスコのチャイナ・タウン。

ゴールデンゲート・ブリッジなどができる前のこの街の表玄関、フェリー・ターミナル。

たくさんある丘は、サンフランシスコを坂の街にしている。その中を走るのが、名物ケーブルカーだ。19世紀からの歴史を持つこのケーブルカーは、国立歴史記念物に指定されているが、現在でも市民の足として、また観光の目玉として、立派に活躍している。これは市内にある3系統の線の内の「カリフォルニア・ストリート線」。

ロンバルド・ストリートの交差点からフィッシャーマンズ・ワーフへ向かうハイド・ストリートのケーブルカー。向こうに見えるのは、アル・カポネも収容されていたという、サンフランシスコ湾に浮かぶ刑務所の島「アルカトラズ島」。

ハイド・ストリートとブロード・ウェイ近く。交差点によって坂の傾斜度が違うのがわかる。

パウエル・ストリートを走るケーブルカーの終点は、高級デパートやホテルが集まるユニオン・スクエアだ。ここでケーブルカーに乗って、街の北側、フィッシャーマンズ・ワーフへ行くのが一般的な観光ルート。

地中に埋めこんんだケーブルを動かす工場。ここはケーブルカーの博物館にもなっている。

ケーブルカーの停留所。坂の途中の交差点につくられている。

古いケーブルカーは急ブレーキもおぼつかない。この街ではケーブルカーが最優先。

終点の折り返し所では、手動のターンテーブルが今でも使われている。運転手や車掌だけでなく、ボランティアの市民も手伝っているようだ。

世界一急な坂、ロンバルド・ストリート。一番上の坂は、急すぎて七曲りのようになっている。ここを走りたいと、わざわざ車で訪れる観光客も大勢いる。

ロシアン・ヒルから見た市内。ロンバルド・ストリートとフィッシャーマンズ・ワーフ、その先にはサンフランシスコ湾内のアルカトラズ島も見える。

ロンバルド・ストリートの頂上。時速5マイルでゆっくりおりる。

体をきたえるにはもってこいの街、サンフランシスコ。ユニオン・ストリートでジョギング。

坂道での駐車には、ハンドルのきり方など、かなり神経を使う。ここは、90度駐車地帯。

市内観光ドライブ・コース。この標識沿いに49マイル走れば約一周。

美しいサンフランシスコ湾をながめる「ベイ・ウィンド」もサンフランシスコ名物。

ベイ・ウィンドのあるアパートとアパートの壁がくっつきあっいるのが、この街の特徴。

ユニオン・ストリートでカメラのいたずらをしてみた。もし坂道でなかったなら、建物はすべてこんな感じで建っているのだ。

ユニオン・ストリートで。この間の地震を始め、1906年にも大きな地震にも襲われたサンフランシスコ。街ではそのたびに大幅な修理が行われているのだ。ちなみにこれは地震で傾いたものではありません。

長年にわたって大勢の日本からの入国者を迎え入れてきた日本領事館も、坂道に建てられている。

坂道とは関係なく、地球の中心からの延長線にそって建てられている建物の前では、停車中の車もこんな具合。

サンフランシスコ・スタイルの住宅の典型。見晴らしのよい坂道の頂上に建っていて、最上階にはテラスのあるペント・ハウスがのっている。

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