カリフォルニア州

 輝く太陽と青い空がトレードマーク、アメリカ本土の中では経済、文化、観光のどれをとっても日本との関わりが一番深く、最も馴染み易いところだ。

アメリカにあったスペイン系政府の領地だった現在のカリフォルニア州がアメリカ合衆国の一部になったのは1848年の事。その直後には金鉱が発見され一大ゴールドラッシュが起こった。そしてその翌年、それを見込んだ「フォーティーナイナー」と呼ばれる大量の開拓民によって、この土地は瞬く間に発展してしまったのだ。

ゴールドラッシュが去った後も、その勢いは衰えず、1869年の大陸横断鉄道の開通に伴いさらに多くの人々が移り住み、1900年代に入ってからは石油も発掘される様になり経済的にも安定、その地位を確率した。
大平洋を間に挟み、日本の真正面に位置するカリフォルニア州は、距離的に近い事もあり、アメリカの中で最も日本との関係が深い州。また地元では同じ環太平洋都市の仲間として、アメリカの首都ワシントンよりも、東京の方が身近に感じるという声もある程だ。当然、日本人の数もハワイに次いで多く、州最大の都市ロサンゼルスとそのライバル都市サンフランシスコには地元で「Jタウン」とも呼ばれる。一大日本人街が形成されている。日本人にとっては観光地としての印象が強いアメリカ州だが、最近では日本からの企業も増え、ビジネス面での繋がりも深まってきている。

アメリカ第二の都市、ロサンゼルスの今昔

 ニューヨーク、シカゴに次ぐ、アメリカ第三の都市として知られてきたロサンゼルスは最近、サンベルト地帯への企業の集中、日本を始めとする大平洋を挟んだアジア諸国との経済的繋がりなどによって急成長、オイルショック以来の不況からなかなか立ち直れないシカゴを抜いて第二の都市となった。

 もともと乾燥した砂漠地帯だったロサンゼルスは灌漑用水路えを整備し、人工的に作られた所。美しく近代化されたこの街は、ニューヨークとはまた別なタイプのアメリカの都市の典型を見せてくれている。

 私が最初にロサンゼルスの町を訪ねたのは1960年代の終わり頃。当時から既に注目を集めていたハリウッドや高級住宅街ビバリーヒルズは、映画の世界そのままで、まるで自分が夢の中にいるような印象を受けたものだ。現在のロサンゼルスも華やかな映画の世界や美しい町並みのビバリーヒルズなどは、ほとんど当時のままで、まるで時が止まっているかの様だ。

 その一方、当時と違う姿を見せてくれるのがダウンタウン地区だ。美しさが売り物のカリフォルニアにあって、1960年代のこのあたりは、最も暗黒の時代だった様だ。当時のダウンタウンは、高層ビルがいくつも建ってはいるのだが、そのビルとビルの間には取り壊されたビルの跡の空き地があり、そこにはやたらに駐車場がつくられていたのだ。当時は、さすが車社会のアメリカなどと、わけもわからずに感心したりしていたのだが、実際はちょっと事情が違っていたようだ。第二次大戦当時、航空機産業の中心として栄えたロサンゼルスは、人口が250万人に急増。戦後には特需効果も薄れ、その結果として黒人を含む大量の失業者を生む結果になった。1965年には、市南部のワッツ地区で黒人暴動なども起こり、町全体が荒れていた時代だったのだ。その後、公民権法の制定や地元出身のニクソン大統領、レーガン大統領の活躍、サンベルト地帯の発展そしてロサンゼルス・オリンピックの開催などとともに次第に駐車場も高層ビルに変身、最近では労働問題も落ち着き、空き地の姿も見当たらなくなった。

 もうひとつ、ダウンタウンと共に時の変化を感じる場所として、そこに隣接する」リトル東京」とも呼ばれる日本人街がある。1960年代に見ることができた日本の戦前の町並みそのままの様子や、70年代の、日本の経済資本の進出に抵抗する日系ニ世、三世の人々の姿は、80年代にはとうとうなだれ込む日本企業とその資本に飲み込まれてしまったようだ。現在では昔懐かしい日本の姿はほとんど見ることができなくなってしまった。

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