南北戦争発端の町、チャールストン

アメリカ南部のいわゆる「南軍」が、当時チャールストン沖のフォート・サムター要塞にいた、北東部を中心とする「北軍」の連邦政府軍に向けて砲撃を加えたのが、1861年4月12日の午前4時30分。この時、四年間にも及ぶ内戦、南北戦争の火ぶたが切って落とされたのだ。

南軍は、奴隷労働を主とした農業、広大なプランテーションで栄華を極めていた。この南部諸州の「コンフェデレイト」と呼ぶ連合軍と、奴隷解放を求める北東部諸州「ユニオンン」との戦いが南北戦争だ。最初、このフォート・サムターの戦いは南軍の勝利に終り、フォート・サムター要塞は、南軍のものとなったのだ。しかし、ここで登場するのがあのリンカーン。彼は7万5千人もの志願兵「ボランティアー」を募り、大反撃を開始、北軍を勝利へ導くのだ。

アメリカ合衆国にとって、非常に大きなできごとであったこの戦いは、アメリカ南部と北部の関係を理解する上で、とても重要だ。チャールストンを訪ねて見た私は、まよわずそこを訪ねてみることにしたのだ。

チャールストンのシティー・マリーナから、観光船に乗って渡る、フォート・サムターは、チャールストン湾にある、小さな人工の島だ。島は、当時の木造の軍艦などでは、全く歯が立たないであろうと思われるほど、強固に作られている。ここで、国立公園局のパーク・レンジャーが、南北戦争勃発の時の様子を語ってくれたのだ。

戦争の跡地というのは、どこでも似たようなもので、たいてい大砲を打つための小さな窓と、いくつかの大砲、そして至る所に星条旗がたなびいている。あとは勝ったほうの将軍の銅像が建ててあるだけだ。

そんな事をぼんやり考えながら、一通り見終って、さてシティー・マリーナに戻ろうということになった。船に乗り込み、動き出した途端、突然空が曇って来て、あたりが真っ暗になってしまったのだ。まるで真夜中のような暗さだ。

あの夜、南軍の兵士はこんな船に乗り、こんな暗さの中で、フォート・サムターに向かって大砲を打ち込んだのだろう。と、突然「ドーン・ガララ」という大きな音、「大砲が打ち込まれたのだ」。いや、雷の音だ。いくらなんでもディズニーランドの演出ではあるまいし、そこまではやらないだろう。しかし、あまりのタイミングのよさに、冷や汗が出てしまった。

その後が大変だ。稲妻が光ったかと思うと、大つぶの雨、私の船はまるで南軍の大砲におわれながら逃げ出す北軍の軍艦よろしく、チャールストン・マリーナにむけて一目散に向かうのだが、強い横風で船はいっこうに進まない。視界もほとんどゼロの状態で、行きは数十分で着いた道のりが、帰りは何時間もかかっているのだ。だんだん不安になってくる中、ようやくシティー・マリーナに着いた時は、もう、雨は上がっていた。

着いてみると、市内の道路には水が溢れ、歴史的な建物もかなりの被害だ。翌日のニュースも大騒ぎの大惨事で、まるで一日で南北戦争を体験してしまったような錯覚におちいりそうだったのだ。

観光船に乗って、国立公園局の管理するフォート・サムター国定公園に到着した。南北戦争の一番最初の戦いが行われた所。

遠方に見える島のようなものが、フォート・サムターだ。フォート・サムター行きの観光船から。

要塞の中央に掲げられている星条旗。戦争中は、戦況によって掲げられる旗が違っていた。

フォート・サムターを後にして、振り返って見ると、こんな様子になっていた。1861年4月12日、午前4時30分の再現のようだ。

戦死した将軍や兵士達は、こうして後世までその栄誉をたたえられる。

南北戦争の火ぶたが切られた時の様子を展示するミュージアム。

要塞の小さな窓から、大砲を撃った。

フォート・サムターの中の広場。戦争中は、大勢の軍隊がここに待機していた。軍艦なら沈むことがあるが、この要塞なら決して沈むことがないのだ。今では、多くの観光客が訪れて、平和について考える場所になっているようだった。

国立公園局のパーク・レンジャーの説明に、聞く方も思わず真剣な表情になってしまう。

本当にこんな大砲で撃ったのかな?

ここには、南北戦争当時に使用されていた数々の兵器も展示されていた。

ここで働くパーク・レンジャーは、他の国立公園の人達とは違い、アメリカの歴史の専門家でもあるのだ。

フォート・サムターを出発した時は、こんな顔で出発。

フォート・サムターからの帰りの船の中では、大変な雷雨にあってしまった。

≪≪前へ  目次