サウス・カロライナ州

ノース・カロライナ州と同じく、イギリス国王、チャールズU世の時代からの歴史を持つこの州は、南北戦争の始まる前、当時南部一帯で生産されていたコットンの、ヨーロッパへの積み出し港として、栄えていた。

サウス・カロライナ州は、「ロー・カントリー」と呼ばれる、平らな大西洋に近い地域から、「アップ・カントリー」といわれる西側、アパラチア山脈へ続く中間には、「ピードモント台地」と呼ばれる台地がある。植民地の時代、コットンのプランテーションなどで栄えていたのはもっぱらロー・カントリーの方だったが、南北戦争後、コットンの生産をもとに始まった繊維工業などの力で、アップ・カントリーの巻き返しが始まったのだ。私はアメリカ大陸を縦断、つまり南北に走る時には、アパラチア山脈の東側を走るので、この州は何度となく通っているわけなのだが、これといった印象がなかったのだ。

ところが、ある時、多少日程に余裕があったので、いつものような通り抜けではなく、何日か滞在したところ、いろいろ特色もあって興味深い州だということに気が付いた。

海岸線に続く昔ながらの漁村を通り過ぎると、マイトル・ビーチという新しいリゾートもあるし、一番南には「ヒルトン・ヘッド・アイランド」もある。この二つのリゾートの間にあるのが、チャールストンというわけだ。

ヨーロッパ貿易の港町、チャールストン

1920年代、アメリカで大流行したダンス、「チャールストン」。このダンスは、ここチャールストンから生まれたのだろうか。との素朴な疑問を直接、チャールストンに住んでいる人にぶつけて見た。

どうも返事は要領を得ない、つまりだれも知らないようなのだ。「もしかしたら、だれかが勝手にチャールストンの名前を使って、踊っていたのではないか」なんて無責任な返事までかえってくるのだ。

それなら自分で調べて見ようと、いろいろな資料をみてみると、その昔、サウス・カロライナ州で、「シャング」という曲を、州のダンス・ミュージックにしようという法案が議会に提出されたことがあったらしい。結局成立しなかったのだが、この踊りはニューヨークに渡って、黒人達のレビュー「ラニン・ワイルド」という中で使われたのだ。この時のレビューの曲に付けられた名前が「チャールストン」だったというわけだ。といっても、これが本当のことかどうかはわからない。

この不思議な踊りは「ローリング・トウェンティー」と呼ばれ、1920年代に大ブームを巻き起こした。つまり、踊りのチャールストンはニューヨークでブームになったもので、本家の都市チャールストンには、関係ない、あるのは、それよりもずっとずっと前の、1800年代の世界だった。

カロライナの名前と同じく、チャールス国王の「チャールス・タウン」からその名前がきているチャールストンは、1800年代の中頃までは、アフリカから強制的に連れて来た黒人労働者、「黒人奴隷」を大量に使い、コットンを始めとする農業で、莫大な利益を上げていた。

そのうち、広大なプランテーションのオーナー「プランター」達は、この町に豪邸をかまえて生活するようになった。そのため、ここには、州の劇場、州の博物館、公立学校、市立大学などが次々と建ち、文化の面でもめざましい発展をとげていたのだ。当時としては画期的な火災保険の会社まであったという。もっともこの火災保険の会社は、創立した翌年の大火災で、町の建物の半分以上が焼けてしまい、あえなく倒産してしまったのだが。とにかく、当時のアメリカの中では、このチャールストンは、最先端を行く町だったのには違いない。

何か当時の様子を残しているものがないかと、地図を調べてみた。そして見つけたのが、「オールド・スレイブ・マート・ミュージアム」、つまり奴隷市場の跡だ。当時の建物をそのまま、博物館として保存されているという。いったいどんな物が展示されているのか、どんな様子なのか想像もつかず、おそるおそる出かけてみたのだ。

一面に大きな石を敷きつめた石畳の上を馬車に乗って、しばらくガタゴト走って行くと、見えて来たのが「オールド・スレイブ・マート・ミュージアム」と書かれた大きな門だ。以前この中で、何日も何日も船に揺られて無理やり連れられてきた黒人奴隷達が、競りにかけられていたのだ。彼等の気持ちを思い、だんだん憂欝になってきた私は、門に掛かっている「本日休館」の文字を見た時には、こころの底からほっとしてしまったのだ。できれば毎日休館にしていればいいのに、などと思いながら、心なしか足取りも軽かった。

1800年代のマンションをホテルにした、ロッジ・アレーインの前の通り。

チャールストンの町の人々は、1700年代、1800年代の町並を大切に保存するため、改築の際は、アーキテクチュアル・レビュー・ボードの審査を受けなければならないのだ。

歴史の町、チャールストンに一番にあう交通機関はなんといっても馬車。

馬車の時代の造りそのままの町は、町中が石畳の道路になっている。

オールド・スレイブ・マート・ミュージアム。昔の奴隷市場跡だ。

当時、ヨーロッパから大西洋をこえて入って来た船は、港に面して立ち並ぶマンションを見ながらチャールストン港に入港してきた。多くの入植者にとっては、このチャールストンに家を建てることが、一番の夢だったようだ。

チャールストン港は、現在、漁船やレジャー・ボート、観光船の発着所といった、シティー・マリーナになっている。

シティー・マリーナで、魚を直売するチャールストンの漁師。

アッシュレー川と、クーパー川にはさまれたチャールストンは、北から入ってくる以外は、橋かボートが必要だ。

馬車時代の名残と、現在の交通が同居するチャールストン。右側が馬車をつないでおくポール。左側が車のパーキング・メーターだ。

チャールストンに到着したのは、ちょうどクリスマス・パレードの日。ブラスバンドの音楽にあわせて、町の目抜き通りを閉鎖して行われていたパレードは、チャールストン発祥の地のイメージにぴったりだった。

彼女の祖先も、もしかしたら、このチャールストン港に着いた船に乗せられて来た人なのかもしれない。

黒人の人口比率が州全体で31%と、典型的な南部の州だが、一定のルールさえ守れば、夜の外出も平気だ。クリスマス・パレードの警備をする警察官。

これからクリスマス・パレードに参加する所。全部手作り、自分で作った車を町の人達に見てもらうのだ。

大西洋の海の幸。ロー・カントリー名物のオイスター、海亀のスープなど、ここにはおいしいものがいくらでもある。

グルメには嬉しい町、チャールストン。これは、ワイルドライスに味付けしたものがお土産用に売っていた。ここは、カロライナ米の産地でもあるのだ。

港に面して建ち並ぶ豪邸群。これもこの町の自慢だ。シティー・マーケットで。

シティー・マーケットは町の中心にあって、市民や近郊の人々が品物を持ち寄って売っていた。1800年代と同じ方法で運営されているのだ。

アフリカから連れて来た文化。「スイートグラス・バスケット」は、チャールストンの名物だ。

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