テネシー州

一番東側は、アメリカ大恐慌の時に始められた、TVA「テネシー・バレー・オーソリティー」という電源開発が進んでいる地域だ。この一大プロジェクトは、アメリカで一番貧しく「プアー・ホワイト」と呼ばれた、斜陽化が進む一方だったこの地方の小さな炭鉱で働く人々を救った、画期的なものだ。

そして次が州都ナッシュビル。もともとはミシシッピー川支流、カンバーランド川河畔の砦の町、他の州の州都と変わりのない所だった。ところが、地元のラジオ局が始めたカントリー・ミュージックの番組が大成功をおさめ、人気は全国ネットに広がり、その公開放送のために全国からファンが押しかけるようになってしまったのだ。今では、すっかり「カントリー・ミュージックの町」として定着している。

一番西側にあるメンフィスは、あまり知られていないのだが、ミシシッピー川河畔の町としては最大の人口を誇る大都市だ。ミシシッピー川地方の経済や文化の中心地として、新しい文化を育てて行こうと、町全体としてもかなり力をいれている。

以上の都市を結ぶように、温暖な気候を利用した豊かな農村地帯が広がっている。

カントリー・ミュージックの町、ナッシュビル

アメリカ国民にとってのカントリー・ミュージックは、日本人にとっての「演歌」のようなもの。グランド・オール・オープリーのおかげで、町中がそのカントリー・ミュージックであふれているナッシュビルはさしずめ「演歌の里」といったところだ。

ダウンタンの一角にある、もともとは教会だった「ライマン公会堂」で、WSM・AM六五〇のラジオ局が、カントリー・ミュージックの公開番組を始めたのが七十年近く前のこと。いちローカルラジオ番組だったこの番組が人気を呼び全国ネットにまで拡大、公開録音の日には、このライマン公会堂に大勢のカントリー・ファンが押し寄せるようになったのだ。当時、裏口をぬけて公会堂の楽屋とつながっていたというバーには、いまでもその頃の雰囲気が漂っているようだった。

地元では、貸し切りバスを使って全米からやってくるたくさんのファンが、公開番組を見るだけで帰ってしまうのはもったいないと考えた。そこで、公会堂も老朽化、手狭にもなってきたのを機会に、一九七四年、郊外に広大な敷地を確保、カントリー・ミュージックのテーマ・パークである、「オープリーランド・U.S.A.」を作ったのだ。オープリーとは、南部なまりでオペラという意味、名前からも南部をアピールしようとしているようだ。

大勢の観光客が郊外の「オープリーランド」の方へ行ってしまうようになっても、ナッシュビルの町の中はカントリー・ミュージック一色だ。ライマン公会堂の裏には、楽器店がずらりと並び、ハーモニカをふきなら町中を歩き回ると言う商売もある。街角のバーの中からは一日中カントリー・ミュージックが流れてくる。この町にいれば、いつでもどこでもカントリー・ミュージックが聞こえて来るのだ。

また、ダウンタウンからちょっと離れた「ミュージック・ロー」と呼ばれる一角には、「ザ・カントリー・ミュージック・ホール・オブ・フェイム」という、カントリー・ミュージックの殿堂がある。カントリー・ミュージック界の功労者達をたたえた建物だ。近くには有名なカントリー・ミュージシャン達の記念館なども軒を連ねていて、その脇の通りには、レコーディング・スタジオが建ち並んでいるのだ。カントリー・ミュージック大流行の発祥源でもある、記念すべきRCA社のレコーディング・スタジオ、「スタジオB」もこのあたりにあった。

今回は、このミュージック・ローの一角に建つスタジオのひとつで行われた、カントリー・ミュージックのレコーディングに、幸運にも立ち会うことができた。ウィリー・ネルソンの記念館を見学していた時に、偶然ばったり会った友人、CBSソニーの金井氏に連れられて訪れたレコーディング・スタジオでは、カメラのシャッター音が録音の邪魔にならないように神経を使いながらも、夢中で撮影したのだ。

金井さんも「この町には、カントリーを演奏させたら世界でも有数の実力を持つのミュージシャンのほとんどが揃っている。だから、ミュージシャンを全員日本に呼ぶよりは、自分がこちらへ来たほうがずっとはやいのだ」と、すっかりのめり込んでいるようだった。

「殿堂」入りした、ハンク・ウィリアムス。

同じくロレッタ・リン。

カントリー・ミュージックの殿堂「ザ・カントリー・ミュージック・ホール・オブ・フェイム」は、ナッシュビルの人々の宝物だ。アメリカ中、世界中のカントリー・ミュージックのファンが一度は訪れたいと思っている場所なのだ。

カントリー・ミュージックの名曲も殿堂入りするのだ。

WSM−AM650ラジオ局が最初に公開放送に使った、ライマン公会堂。

「殿堂入り」したスターの名前が並ぶ。ホール・オブ・フェイムにて。

ナッシュビルの主産業のひとつは、カントリー・ミュージックのレコード制作だ。市内には何軒ものレコーディング・スタジオがある優秀なミュージシャンもたくさん住んでいる。ミュージック・ローにある、レコーディング・スタジオでの録音風景。

これがこの町で一番古いレコーディング・スタジオ。

マスターリンク・スタジオ。

マスターリンク・スタジオは、「殿堂」ザ・カントリー・ミュージック・ホール・オブ・フェイムのすぐ近くだ。

ナッシュビルに住む、盲目の天才ピアニスト。曲は全て彼の頭のなかにある。マスターリンク・スタジオにて。

レコーディングが始まる前には、綿密な打ち合わせが行われる。

いよいよレコーディング本番が始まる。一流のミュージシャンによるカントリー・ミュージックを作るには、ナッシュビルでレコーディングするのが一番だそうだ。

ナッシュビルの一角にある、ミュージック・ロー。向こうに見えるのは、テネシー州の州都。政治、経済の中心としてのダウンタウンだ。オフィス・ビルも充実している。

テネシー州の州議事堂。最初に訪れた時には、ポツンと建っていたのだが、今では周囲に高層ビル群が建ち並んでいる。

ダウンタウンのオフィス街に比べて、再開発が進んでいない旧市街。ライマン公会堂のすぐ後ろに、カントリー・ミュージシャンの彫刻があった。

ライマン公会堂のすぐ後ろに並ぶアーネスト・タッブ・レコード店。もちろんカントリー・ミュージックの専門店だ。

ライマン公会堂の楽屋口から抜けだせるオーキッド・ラウンジなど、バーが並ぶ旧市街。

≪≪前へ  目次  次へ≫≫