アメリカ一、ユニークな大学、ブリヤ・カレッジ

アパラチア山脈の西側の麓に位置するブリヤは、代々山の中に住んでいた「マウンテン・ピープル」の伝えてきた伝統的なアートやクラフトを保存している町として知られている。そのブリヤの町のシンボル的な存在といわれる、ブリヤ・カレッジを訪ねてみた。

ケンタッキー州の三月といえば、もうすでに春。ところが、私が訪ねた日には、この地方にまさかの雪。ブリヤ・カレッジの美術教授、日系のプロフェッサー・サワイの家の庭先にキャンピングカーを泊めて滞在していた私は、震えるように一晩をすごしたのだ。

翌朝、凍える中、いざブリヤ・カレッジへ。庭先を拝借している、プロフェッサー・サワイとは、彼が日本へ留学していた時からの付き合いで、今回は、特別に彼の講義に参加させてもらう約束になっていたのだ。

講義を受ける学生たちはみな、とても積極的だ。日本から来ている私に、日本での陶芸品の値段、流通手段など、次々と質問をあびせてくるのだ。彼等の熱気に、さっきまでの寒さも何のその、答える私は汗だくになってしまった。

学生達がどうしてこんなに値段や流通に興味を持つのか、それともうひとつ、どうしてこの大学がアート、クラフトの町のシンボルとなっているか不思議に思って調べて見ると、なるほどそれには理由があったのだ。

この大学は、授業料が全くない。その代わり、学生達は自分の作品を作って大学の経営する店で売ったり、大学の経営するホテルで仕事をしたり、大学の経営にプラスになることをしなければならないのだ。彼等は、学生時代から社会との関わりをもって生活をし、自分の授業料を自分で働いて支払っているわけなのだ。生活がかかっているため、自分の作品の販売にも最後まで責任をもっており、その熱意が私に対する疑問、質問になってあらわれていたわけなのだ。

もともと、一部の織物のクラスが生徒の負担を軽くしようと、生徒を雇うような形で始まった「授業料なし」の伝統は、この地にやってくる観光客相手に授業で作った自分たちの作品を売るための売店を作ることに発展し、その売店が成り立つようになって、現在のように大きくなっていったのだ。今ではそのシステム自体が大学の特色となり、さらに大規模になってきている。街の真ん中にある「ブーン・ターバン・ホテル」も大学の経営で、全て学生の手で運営されているし、町にはアパラチアン・ミュージアム、ログ・ハウス・セールス・ルームなどといった、ブリヤ・カレッジで作られた作品を展示・販売する店がずらりと並んでいるのだ。

とはいっても、町中のギフト・ショップ、ギャラリーなどがすべてブリヤ・カレッジの経営するものかというと、そうではない。ここにはブリヤ・カレッジを卒業した作家達の作品を売る店もたくさんあるのだ。学生時代から、先輩達に負けない作品を作らなければ、競争に負けてしまうわけで、さすが自由競争の国、アメリカ。日本ではとうてい考えられないシステムだ。もっとも、アメリカ国内のアンケートでも、ユニークな大学のランキングではいつも上位に入っているらしいが。

おかげでブリヤのアート、クラフトは安くて質もいいと全国的に評判になっているのだ。

アパラチア文化の香りを強く残しているブリヤ・カレッジ。1893年創立の、伝統のある大学だ。

ブリヤ・カレッジのサワイ教授宅の庭先でキャンプ。私のアメリカでの1台目のキャンピング・カー。

ブリヤの町の中央にある公園の前に建つ、「ブーン・ターバン・ホテル」。この地方を最初に探検したダニエル・ブーンの名前をとって、ブリヤの町のシンボル、ブリヤ・カレッジのシンボル的な建物だ。

アメリカでも、子供を大学にいれることは家族にとってはかなりの負担だ。その家族にとってもありがたいシステムなのだ。

アパラチア山脈で古くから作られていた織物、ウィービングの技術は、この学生たちに受け継がれている。

ブリヤ・カレッジ直営のアートやクラフトを売る店。

商品だけでなく、売店の建物そのものも学生の作品だ。

アメリカでも家具、調度品などは、コストダウンをはかるために、大量生産をしているものが多くなってきている。しかしここの製品は、ひとつひとつ手作りの「本物」。

同じような家具だけを作っているだけでなく、常に新しいアイディアの作品が作られていて、ブリヤ・カレッジの売店にならべられている。これは、昔ながらのゲームを再現したものだ。

丹念に作られたものが並ぶ、ブリヤ・カレッジの店。ログ・ハウス・セールス・ルームのキルト。

ログ・ハウス・セールス・ルームのレジも、もちろん生徒が交替で。

アパラチア山脈の木製品の伝統を伝える作品。

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