ケンタッキー州

毎年5月に行われるケンタッキー・ダービー、ステファン・フォスターの名曲「マイ・オールド・ケンタッキー・ホーム」、日米貿易摩擦解消に努めるかのようにどんどん日本に入ってくるバーボン・ウィスキー、そしてご存じ、「ケンタッキー」といえばこれ、ケンタッキー・フライドチキン。等々、ケンタッキー州は、数々の特産品にも恵まれ、日本にも大変馴染みの深い州となっている。

ケンタッキー州は、奴隷制度を認める州として発展してきた州なのだが、南北戦争当時、なぜか正式には北軍として戦っていたのだ。しかし実際、住民達の間には、南軍に加わって戦う者も大勢いて、どっち付かずの立場にあったようだ。実際に訪ねてみると、人間性や文化性など、やはり南部の影響のほうがかなり強いような気がする。私のライブラリーでの写真の分類でも南部の中にいれているので、本書でも、「南部・ケンタッキー州」として紹介しようと思う。

「ブルーグラス・ステイト」といわれているように、ブルーに近い濃い緑の牧草地が広がっているケンタッキー州。その景色を見られるはずだったのだが、残念ながら例年にない干ばつで、楽しみにしていた空撮は私の期待にそうものではなかった。しかし地上に降りて、農道の両脇に積み上げられたコーンを見上げながらのドライブは、まるでコーンの森、さすがにダイナミックだった。

リンカーンの生れ故郷、ケンタッキー

しかしなんと言っても、ケンタッキー州の一番の自慢といえば、第16代大統領エイブラハム・リンカーンだ。アメリカ合衆国の歴代大統領の中でも、今なお最も人気の高い大統領といわれるリンカーンが生まれた丸太小屋が、このケンタッキー州にあるのだ。

彼が大統領に立候補した時には、「丸太小屋からホワイト・ハウスへ」というキャンペーンにまで引っ張り出されたこの小屋は、ルイビルの南、エリザベスタウンの近くのホッジェンビルという小さな村にあり、現在は国宝級の扱いをうけている。ケンタッキー州というと、リンカーンの生まれた丸太小屋、という印象がずっとあった私は、ケンタッキー州へ行った時に、真っ先にその丸太小屋を訪ねることにしたのだ。

「山奥にポツンとある小さな丸太小屋」の絵をいろいろ頭に描きながら、地図を頼りに訪ねて行くと、まず目に入ったのが「エブラハム・リンカーン・バース・プレイス・ナショナル・ヒストリック・サイト」という、大きな標識だ。その向こうには、丸くどっしりした、まるでギリシャ風建築の国会議事堂か、州議事堂かといった建物が建っている。。走ってきた道のまわりには、丸太小屋にふさわしいような自然の風景が広がっていたのに、突然なんだろうと思いながら、半信半疑で正面玄関を上って行った。太い円柱の間の入口から入って行くと、ちょうど神社のご本尊を奉ってあるような感じで、丸太小屋が大切にしまい込んであるではないか。少しばかりがっかりしてしまった。

気を取り直して地図を見ると、「リンカーンズ・ボーイフッド・ホーム」という文字が見えた。ノブ・クリーク・ファームとも呼ばれた農場で、リンカーンが三才の時に、それまでの丸太小屋、シンキング・スプリグ・ファームから引っ越してきた家だ。

周囲の緑の中に、今でいう「ワンルーム」の丸太小屋がある。キッチンのような暖炉もあって、当時の生活がそのままに残されている。ここでやっとリンカーンの丸太小屋に巡り会えたような気がしたのだった。

その後一家は小屋を出て、オハイオ川の北岸、インディアナ州、さらにはイリノイ州へと移っていった。そこで、弁護士の仕事を続けながら政治家を目指し、当選と落選を繰り返して、徐々に大政治家に育っていったのだ。リンカーンが大統領になってからの四年間は南北戦争の時代。その間、彼は奴隷解放を始めとする数々の仕事をこなし、そして一八六五年、暗殺されてしまうのだ。

リンカーンの生れ故郷を訪ねてみて、アメリカ史における彼の重要さをあらためて認識した気がした。

リンカーンが少年時代に住んでいた、「ノブ・クリーク・ファーム」の丸太小屋。少年時代の生活の様子を見ることができる。

リンカーンの生まれた丸太小屋。彼の選挙の時にかつぎだされたが、現在では国宝級の扱いだ。

リンカーンが少年時代に住んでいたノブ・クリーク・ファームの丸太小屋のレプリカ。少年時代の生活の様子を見る事が出来る。

深い森の中にポツンと建っていたはずのリンカーンの生まれた丸太小屋は、このようなたいそうな建物の中に収められていた。ここ」シンキング・スプリング・ファーム」は現在、「エイブラハム・リンカーン・バースプレイス・ナショナル・ヒストリック・サイト」という国立公園になっている。

ノブ・クリーク・ファームの中にある、リンカーンが少年時代に使ったベッド。今で言うワンルーム・マンションのような作りだ。

リビング・ルームの暖炉は、キッチンのかまどの役目も果たしていたようだ。

ケンタッキー州の北側を流れるオハイオ川。ミシシッピー川の支流で、早くから河川交通を利用した産業が栄えて来た所だ。

オハイオ川は、ここで左側から流れてくるミシシッピー川と合流し、メキシコ湾へ流れ込んでいる。緑の深いケンタッキー州を流れているオハイオ川と乾燥地帯を流れてくるミシシッピー、色が全く違うのだ。

今日のケンタッキー州は、広大な西部と、工業化の進んでいる北東部との間に位置し、また自動車や機械産業が栄えてきた中世部のオハイオ州、ミシガン州からも近い。そのため最近、新しい産業が次々に移転して来ている。

ケンタッキーで忘れてならないのが、カーネル・サンダースのケンタッキー・フライド・チキン。ルイビルにある、ケンタッキー・フライド・チキンの本社。

トヨタ自動車のアメリカ現地生産の拠点となる工場の、道路をはさんだ真正面にあった納屋。

ルイビルに次いでケンタッキー州第2の都市、レキシントンの郊外、ジョージタウンに突如出現したトヨタ自動車の巨大な自動車組み立て工場。日米貿易摩擦の解決策のひとつとして、建設されたものだ。

以前、アメリカ合衆国が金本意制の時代に保有していた金塊の多くがこの貯蔵庫に保管されていた。映画『007・ゴールド・フィンガー』でも有名な、フォート・ノックス陸軍基地の奥深い安全な所が選ばれている。

フォート・ノックスの金の貯蔵庫を訪ねたついでに、陸軍基地内の訓練風景も見学させてもらった。

毒ガスの攻撃を受けた場合の訓練も行われていた。

金塊の貯蔵庫は、基地の一番奥に厳重にあった。日本へ帰って『007』をもう一度見直して見ると、政府の金の貯蔵庫を襲う事がいかに大変なことかよくわかって一段と面白かった。軍事訓練の合間に一休みする戦車隊の隊員。

炎天下、連日行われている厳しい対毒ガス訓練。

厳しい訓練が終わって、ほっと一息入れるフォート・ノックスのアメリカ陸軍の隊員。

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