ウェスト・バージニア州

ミシシッピー川の東側の州の中では、平均標高が475mと、一番高い所にあるウェスト・バージニア州。

南北戦争当時、バージニア州の一部だったこの地方は、南軍の州都となった現在のバージニア州リッチモンドに対して、北のはじにあるホィーリグに北軍側の州都がおかれるなど、同じ州にありながらも、北軍側について戦争をしていたのだ。当時、バージニア州は南軍としての戦争で手一杯で、山の向こうの動向を気にする余裕もなかった。このため、この地方の人々は1863年、どさくさに紛れて独立、新たな州、ウェスト・バージニアを作ってしまったのだ。

ウェスト・バージニア州は、アパラチア山脈から採れる石炭を中心に、天然ガスや石油化学産業、ガラス器産業の州となっているが、山岳地方のため高速道路網の工事も大変で、人口の増加もほとんどないのが現状、なんとかして州を盛り上げようと努力しているのだ。そこで現在、州が一番力をいれているのがアパラチア山脈の自然を利用した観光産業。深い谷にかけられたニュー・リバー・ゴージ・ブリッジの完成とと同時に、「ニュー・リバー・ゴージ国立河川公園」の指定も受けて、州をあげてはりきっているのだ。

もうひとつのリゾート、グリーンブライヤー

バージニア州ホームステッド・リゾートと並び称されるホテルがこのウェスト・バージニア州、アパラチア山脈の中のアルゲイニー山地にある、グリーンブライヤーだ。ここもまた昔からの温泉地で、バージニア州ホームステッドがワシントンD.C.の奥座敷だとすると、ここはそのまた奥座敷といった雰囲気だ。もともとは、先住インディアンたちが、このイオウ分の多い温泉を利用していたのだが、1772年にこの地に最初に入植してきた人々がその評判を聞き、利用するようになったのだという。

「1778年、ひどいリューマチで悩んでいたミセス・アンダーソンという女性がこのの温泉の噂を聞いて、馬に揺られて何日も掛かってやってきた。自分では全く動けなかったミセス・アンダーソンは、みんなの助けをかりて温泉に入れてもらっていたのだが、何日かすると、突然自分で立上がり、自分のあしで歩いて帰ったのだ」。

こんな伝説を聞いた人々が近くにテント村を作ったり、ログ・キャビンを建てたりして、ここに集まるようになったのだ。

南北戦争当時、最初は南軍の本部が置かれたり、野戦病院が置かれたりしていたが、後半、北軍が優勢になってくると、同じように北軍の本部や野戦病院が置かれるようになった。戦後になって、グリーンブライヤー・ホテルとなったのだ。また、多くの若者が戦死してしまった事もあって、結婚相手の見付けにくくなった南部の若い娘達が、結婚相手を探すための貴重な社交場として使われたこともある。しかし、ホームステッド・リゾートと同じように、第二次大戦中の外国人外交官の収容先に使われるなど、その後も戦争とは縁を切ることができなかったのだ。日本人が中心のホームステッド・リゾートも対して、このグリーンブライヤー・リゾートは、主にドイツ、イタリーなどのヨーロッパ関係の人々の収容先になっていたようだ。

最近では、キャンプ・ディビッドが大統領専用のリゾートとして作られ、大統領がここまで来る事も少なくなってしまったが、以前は歴代大統領の多くも訪れた、グリーンブライヤー。ジョン・タイラー第十代大統領にいたっては、新婚旅行で訪れたほどのリゾートだ。いくら人里離れた所にあるとはいえ超一流ホテル、もてなしも一流だったにちがいない。戦争の敵国に対しても、このようなホテルを収容先に使ってしまうの所など、いかにもアメリカらしいといえばアメリカらしいような気がする。

現在のグリーンブライヤーを訪ねると、その昔「オールド・ホワイト」と呼ばれたという伝統そのままに、真っ白なペンキで化粧された、まるでホワイトハウスのような建物や、貸し別荘のように建つコテージ、当時からリゾート・スポーツとして親しまれていた、ゴルフ・コースもそのままに残っていた。

「オールド・ホワイト」と呼ばれてきた伝統の面影を残すグリーンブライヤー・ホテルの正面玄関「ザ・グリーンブライヤー」。

ホワイトハウスのような本館だけでなく、コテージ・スタイルの離れが多いリゾートだ。

最初は、お湯を浴びたり飲んだりという、湯治のための場所だったのだが、次第に社交のための場所として知られるようになった。アメリカ一の舞踏会場も持っていたのだ。

向こう側が「プレジデント・コテージ」と呼ばれる建物。歴代の大統領が夏休みなどを過ごしにやって来る所だ。コテージといっても、大きな2階建てで、大統領の滞在中には国旗が掲揚されるようになっている。

観光の目玉の少ないウェスト・バージニア州では、大統領によく利用されていたという伝統を売り物にしている。

ここがホワイト・サルファー・スプリングスと呼ばれる源泉。

ワシントンD.C.からアパラチア山脈越えのリゾート客用の鉄道も古くから開設されている。アメリカ合衆国のリゾート・ライフはかなり前から始まっていたようで、1800年代の終りには、ほぼ現在のような姿になっていたようだ。ホワイト・サルファー・スプリングス駅のプラット・ホーム。

リゾートホテルの歴史がこれほど古いものだとは私も想像していなかった。

インテリアは、当時アメリカで人気のインテリア・デザイナー、ドロシー・ドレイパーが担当し、白基調に、赤、ピンク、ブルー、グリーンを上手に使ってしあげている。

1884年、この近くにアメリカ最初のゴルフコースが作られた。当時、ヨーロッパからゴルフ・クラブを輸入しようとした人が何かの武器と間違えられて、税関でとがめられたという話を聞いた。1910年にこのグリーングライヤーに最初のゴルフ場がオープンして以来、ここは常に全米ゴルフコースのトップにランクされているのだ。

グリーンブライヤーの「グリーンブライヤー・コース」。

「オールド・ホワイト」といわれる方のコース。

「グリーンブライヤー・コース」は、ジャック・ニクラウスの設計。1番ホール。

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