歴代大統領とバージニア

地理的な関係、また独立戦争の時の植民地軍総司令官で、第一代アメリカ合衆国大統領でもあるジョージ・ワシントンがバージニア州の出身であったという関係もあってか、バージニア州は非常に多くの大統領を出している州として別名、「アメリカの母」とも呼ばれている。

もともと大農園主、プランターだったジョージ・ワシントンのプランテーション・ホーム、マウント・バーノンは、現在の首都ワシントンD.C.からポトマック川の西岸を少し下った所にある。つまり彼は、自分の私邸から近い所に首都を設定したというわけなのだ。その後、独立のもう一方の雄である、マサチューセッツ州の出身のジョン・アダムス第二代大統領をはさみ、第三代のトーマス・ジェファーソン大統領から四代、五代と、続けてバージニア出身の大統領が誕生している。トーマス・ジェファーソンは、ウィリアムズバーグにあるウィリアム・アンド・メリー大学の卒業。バージニア州法の作り、バージニア州知事を勤めた。アメリカ合衆国の独立宣言書を起草したことでも知られているが、建国間もない新興国家のアメリカ合衆国の基礎がためのための、重要な働きをした人なのだ。彼もまたバージニア州のプランターの家に生まれたのだ。バージニア大学を作り、「モンティチェロ」と呼ばれる独創的な設計の私邸も自分で設計、リッチモンドに現存する、バージニア州議事堂も彼の設計だ。彼の努力と多岐にわたる才能は、現在でもバージニア州民にとっての誇りとなっているようだ。

その次が、ジェファーソン時代の国務長官も勤めたジェームス・マディソン。彼もまた同じくプランターの出身で、「アメリカ合衆国憲法の父」とも称されて、建国期の重要な役割を果たした人である。彼の私邸「モントペリエ」もバージニア州、マディソンに残されている。

「バージニア王朝」といわれたこの時期、最後の大統領は、ジェファーソン大統領の時代から、ルイジアナ・パーチェスの交渉責任者として活躍していた、第五代ジェームス・モンローだ。「モンロー主義」をかかげた大統領として知られており、「モンロー宣言」によって、ヨーロッパの干渉を排除しようとした人だ。地元ウィリアム・アンド・メリー大学の出身で、彼の私邸はジェファーソンの私邸のすぐ近くに「アッシュ・ローン・ハイランド」として残っている。

その後もバージニア出身の大統領はたくさんでている。就任後役1ケ月で病死してしまった、第九代大統領、ウィリアム・ヘンリー・ハリソン。第10代ジョン・タイラーは、ウィリアム・アンド・メリー大学の出身だ。第12代のザッカリー・テイラー、第28代トーマス・ウドロー・ウィルソンなどもバージニア州の出身だ。

最近では、その任期中に暗殺されるという、悲運の大統領、第31代ジョン・F.ケネディーがバージニア州のアーリントン国立墓地に葬られているということで有名になっている。それ以外でも、第27代のタフト大統領も同じ国立墓地に葬られていたりと、バージニア州と大統領は、切っても切れない深い縁で結ばれているのだ。

ワシントンD.C.への玄関口ともいえる、ワシントン・ナショナル空港も、バージニア州にある。ワシントンD.C.から空港までは「M」のマークで親しまれているメトロレイルがのびている。

メトロレイルは、ワシントンD.C.市内に入ると地下鉄になって進む。ポトマック川をはさんだ対岸にある、バージニア州とワシントンD.C.は、とても関わりが強いのだ。

ワシントンD.C.からポトマック川を渡った正面、バージニア州アーリントンには、アメリカ合衆国政府が維持、管理する、アーリントン・ナショナル・セメタリーがある。各地にある他の国立墓地と共に、国のために命をささげた人が葬られているのだ。

ワシントンD.C.のアーリントン・メモリアル・ブリッジを渡った正面に、アーリントン墓地がある。

ケネディー大統領の「永遠の火」と呼ばれる墓。アーリントン墓地。

大統領候補のまま暗殺されてしまった、ロバート・ケネディーの墓も、兄ジョン・F.ケネディーの墓のすぐ近くにある。

アメリカ合衆国が独立する前、バージニア植民地一のプランテーションのオーナーでもあったジョージ・ワシントンの私邸。ワシントンD.C.からポトマック川河畔の西岸を下った所に現存する。国立公園局の管理する、「マウント・バーノン」の入口。

マウント・バーノンも、「プランター」の家、「プランテーション・ホーム」の出身だ。

第3代大統領、トーマス・ジェファーソンが設計したバージニア州議事堂。

ジェファーソンは、アメリカ合衆国の様々な科学技術にも関わりを持ち続けていた。後のアメリカ各州の州議事堂の設計のモデルとなった、ジェファーソン自身の設計によるバージニア州議事堂。リッチモンド市。

州都リッチモンドでおめにかかった、ジョージア州と同じような「スカーレット・オハラ」のそっくりさん。

アメリカ南部の州という印象が薄くなってきているバージニア州だが、代々、地元出身の大統領など、「プランター」が政治の中心であった時代とともに、南部の中心でもあったのだ。州都リッチモンドに現存するアメリカ南部同盟本部跡の建物。

トーマス・ジェファーソンが自ら設計して、学長を勤めたバージニア大学。ジェファーソンは新しくできたアメリカ合衆国の文明を、自ら構築していくのだという意思で、バージニア大学を創立したのだろう。

ジェファーソンのは、当時のマント・バーノンなど、流行のジョージア・スタイルよりも、ギリシャやローマのスタイルを取り入れたどっしりとしたスタイルを好んだようだ。

ジェファーソンが設計した当時のままに、大切に使っているバージニア大学のキャンパス。

バージニア大学と同じ敷地内にある、約200年前に建設された学生寮。ここもジェファーソンの設計だ。

シャーロッツビルにある、バージニア大学のキャンパスでは、あのエドガー・アラン・ポーも1826年に入学して学んだという。

第28代大統領ウィルソンも学んだ。

シャーロッツビルのバージニア大学は、現在でもアメリカ南部を代表する名門校だ。

バージニア大学では、アメリカ・インディアンの伝統球技でもある「ラクロス」をやる学生が多い。

シャーロッツビルにある、トーマス・ジェファーソンの私邸「モンティチェロ」。彼自らの設計だ。建物の内外に、様々な発明の設備なども取り入れられており、アメリカ建築史上でも、とても貴重な建物だ。

これも、ジェファーソンが旅先で見て気に入った、一週間の日付入りのカレンダー時計を再現したものだ。

モンロー大統領の私邸も、ジェファーソンの私邸の近くにある。この並木道をぬけて、「アッシュ・ローン・ハイランド」と呼ばれる建物を訪ねられる。

1735年に建てられた、シャーロッツビルのミッチー・ターバンは、独立当初の何代もの大統領がやって来た所でも知られている。ジェファーソン、モンロー、マディソン、ジャクソンといった大統領が訪ねて食事をしていった所だ。

シャーロッツビルは、アパラチア山脈に近い丘陵地帯にある美しい町だ。モンロー大統領のアッシュ・ローン・ハイランドはそんな丘の上に残されているのだ。

アッシュ・ローンで見つけた「オートマチック」ドア。

周囲の美しい自然に囲まれて、第5代大統領ジェームス・モンローの私邸「アッシュ・ローン・ハイランド」が大切に保存されている。

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