アメリカ最古の植民地、ジェームスタウン

コロンブスがアメリカ大陸を発見して500年。イタリーやスペインなどでも記念行事が華やかに行われ、アメリカ国内でもコロンブスと同じイタリー系の人々や、彼のスポンサーがスペイン国王だったことから、スペイン系の人々の間ではかなりの盛り上がりをみせている。しかし、多民族で構成されるアメリカでは、全国民に関わっているのではないという点で、やはり独立200年記念際の時ほど賑わいは感じられない。

コロンブスの大陸発見についても、実際は西インド諸島の島だったという噂や、北欧系移民の間では、その時すでにアメリカ大陸は北欧系のリーフ・エリクソンによって発見されていたという説もある。ロシア系の人々は早くからベーリング海峡を渡ってアラスカや太平洋岸に入ってきていたと言っているし、モンゴル系の系統とアメリカ・インディアンとのつながりを主張する意見もあり、真実ははっきりしない。それよりも、始めて入植地ができたという方がアメリカ人にとっては重要だという意見もあるくらいなのだ。

アメリカ最古の入植地といえば、有名なのがマサチューセッツ州ボストン郊外のプリモス・プランテーションだが、実際はそれよりも13年も前の1607年5月13日、ウィリアムズバーグ郊外のジェームスタウンに「スーザン・コンスタント号」九一トン、「ゴッズスピード号」36トン、「ディスカバリー号」18トンの三隻に分乗した104人が到着しているのだ。

現在のジェームスタウンの様子を知りたくて、ウィリアムズバーグから足をのばしてみた。そこへは「コロニアル・パークウェイ」と呼ばれる、まるで公園のような、素晴らしい自動車専用道路でつながっていた。

「ジェームスタウン・フェスティバル・パーク」という表示で、着いたと思い用意されている駐車場に車を止め、入場券を買って中へ入った。ところが、こちらは、ジェームスタウンの当時の三角型のとりでなどを再現すべく、ジェームス川河畔に1957年に建てられたテーマ・パークだったのだ。それでも、実際にはすでになくなっているはずの3隻の帆船のレプリカもあり、当時の入所地の様子や生活までも再現されている。ウィリアムズバーグで見たのよりもさらにもう一つ前の生活がわかって結構楽しめたのだ。

本来の目的は「コロニアル・ナショナル・ヒストリカル・パーク」(国立公園)の中の国立公園局が管理する本物のジェームスタウン。ところがそこは、ただレンガの瓦礫だけ残っていたり、記念の像がならんでいるだけの所だ、「この沖に最初の船が着いたのですよ」といわれても実感がわかない感じなのだ。幸い間違えて先にテーマ・パークへ行った私は、その復元された姿や、当時の様子が容易に想像できたのだが、そうでなかったら、いまいち感動しなかっただろう。

この人が、104人の人々を連れ、3隻の小さな帆船でイギリスからやってきた、船団の船長、キャプテン・ジョン・スミス。コロニアル国立歴史公園のジェームス・タウンにて。

「スーザン・コンスタント」「ゴッズスピード」「ディスカバリー」の3隻の帆船がたどり着いて砦を築いた所。ジェームス川の川の流れを見下ろす所。

バージニア州立の「ジェームスタウン・フェスティバル・パーク」の中の「ゴッズスピード号」のレプリカ。船内の様子も当時のままに再現している。

コロニアル歴史公園のジェームスタウンは、アメリカ人にとっては、新大陸での生活の第一歩が始まった所だ。それを記念した300年記念のオベリスクが建てられている。

移住してきた人々と、先住のプハタン族の酋長の娘、「ポカホンタス」との結婚の記念碑。

ジェームス川の洪水で、その後のレンガ建ての建物の土台などが少しのこっているだけだったが、発掘調査により、当時の建物の様子を再現できるようになった。

この建物は、中でも一番きれいに残されていた、ジャクリン・アンブラー・マンションと呼ばれる建物跡だ。

バージニア州立公園の方のジェームスタウン・フェスティバル・パークの方では、17世紀初頭の人々の生活を再現するという事で、調査研究を重ねて、実際に体験できるようにしている。

チェスのようなゲーム。当時から残されている絵などを参考に再現したもの。

当時の日常の社会生活の再現に特に力をいれて、よく研究されているようだ。

ジェームスタウン・フェスティバル・パークでは、、公園に来ている人も実際にゲームに参加して、当時の生活を体験するのだ。実際にゲームをやってみることで、さらに研究が進んで行くのだ。

女性の入植者が到着したのは、1610年から1614年。その当時の生活の様子の再現。

ジェームスタウンのガラス工場も再現されていた。

ものによっては、ヨーロッパに輸出されているものもある。

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