バージニア州

1607年5月13日、現在のウィリアムズバーグのすぐ隣町ジェームスタウンに、イギリスの入植地ができた。アメリカ大陸に初めてヨーロッパからの人が住み着いたのだ。このときの入植者104人は、この地を当時のエリザベスΙ世の元、祖国イギリスの植民地として成功させ、今日のバージニア州の基礎を作ったのだ。現在のマサチューセッツ州のボストン郊外に、ヨーロッパ各国からピルグリムという清教徒の人々が入植する13年も前のことだ。

このような歴史の古さからバージニアは、アメリカの独立当初から、政治や経済の中心地として注目を集めていた。首都ワシントンD.C.が隣接するポトマック河畔に建設されたのも、八人も大統領がバージニア州から生まれたのも、そういう理由からなのだ。

南北戦争当時、北部の方ではかなり工業化が進んでいたにもかかわらず、バージニア州では相変わらず農業が産業の中心だった。それでも、北部に対抗できるような政治、経済、文化的な力を持っていたバージニア州は南軍の本拠地となり、多くの激戦が州内で繰り広げられてしまったのだ。

南北戦争後は、その地理的な有利さから地位の回復も早く、現在は様々面において、アメリカ50州の重要な拠点になっている。

アメリカ人のふるさとウィリアムズバーグ

ある時、あまりの空気の汚さに、どうしても東京が嫌になった私は、東京脱出計画を立て、鎌倉に引っ越した。しかし東京よりはましだといっても、やはり週末は、観光客などによる交通公害に悩まされているのだ。

そこで、もし私が鎌倉市の市長に立候補するようなことになった時には、アメリカの町の中でも、大好きな町のひとつ、ウィリアムズバーグをモデルにした町造りの提案をする。古都ウィリアムズバーグは、1926年以来、ジョン・D.ロックフェラー・Jr.やW.A.R.グッドウィン博士などの力によって、コロニヤル・ウィリアムズバーグとして徹底的に町の史跡の保存や再建の努力が成されている。都市の景観を保つために、高層ビルは建てられない点などは、現在ホテル業者と神社仏閣で争っている京都の町づくりにも似ている。

現在のウィリアムズバーグでは、町中の交通を徹底して規制し、外部から入ってくる車のために広大な駐車場を周辺にいくつも用意している。そこからは、バスなどの公共交通機関を徹底して利用するようにしているのだ。歴史保存地区内などの交通では、公共交通機関が便利なこともあって、町の人も観光客も進んで使うようになり、歴史を保存しているのだ。そうすればますます観光客もあつまり、町も繁栄していき、なおかつ住民も快適というわけだ。1600年代、1700年代の世界を残しつつ、21世紀の快適な生活もできる。同じ古都の町として、この、町造りを鎌倉にもぜひお手本としてもらいたいのだが。ウィリアムズバーグの歴史は、すぐ隣のジェームスタウンにイギリス人が入植し、バージニア植民地となったことから始まる。一六九三年になってウィリアム・アンド・メリー・カレッジが作られ、しばらくは大学の町として栄えていた。一六九九年にジェームスタウンの植民地政府の建物が火災にあい、新しい植民地政府の首都として選ばれたのがウィリアムズバーグとしての本格的な始まりになった。アメリカの独立にあたっても、1774年、1776年と2度のアメリカ大陸会議がウィリアムスバーグで開催され、一躍国家の中心地として踊り出たのだ。

ところが1780年、バージニア州の州都がリッチモンドに移ってしまった。しばらくの間、世間から忘れさられていた存在だったウィリアムズバーグだったが、1926年、ロックフェラーが歴史を保存するために、この地の再建に乗り出したのだ。0.8×1.6キロという範囲を歴史公園「コロニアル・ウィリアムズバーグ」に指定して、朝八時から夜の六時まで指定地域への車の乗り入れは禁止。建物の建て替え、修理などにもかなりの規制を行っていている。それでも地元の人は、少しも不便も感じず、むしろ誇りにさえ思っているようだった。

ウィリアムズバーグの目抜き通りはデューク・オブ・グロースター・ストリートと呼ばれ、昭和天皇の訪米の際にはパレードに使われた。もちろんこの時も、車は侵入禁止。昭和天皇は車から馬車に乗り換えてのパレードだったのだ。

ところがある日、朝の8時を過ぎても何台ものクラシック・カーや消防自動車が駐車しているではないか。どうしたのかと思ったら、年末には、クリスマスの前祝として1年に1日だけ、地元の人々のためのクリスマス・パレードの許可が下りるのだそうだ。

当時の衣装で町を案内してくれる。シールズ・ターバンにて。

昭和天皇の訪米の時も、このような馬車でウィリアムズバーグのデューク・オブ・グロースター・ストリートをパレードしたのだ。この通りの正面にキャピトル・ビル、それと向かい合うようにウィリアム・アンド・メリー大学がある。

イギリス王室から派遣されてきた総督が住んだ建物。当時のイギリス文化の粋を集めている。ガバナース・パレスの正面。

ウィリアムズバーグは1699年にイギリス政府のバージニア植民地のキャピタルになった。キャピトル・ビルの上にはイギリス式の風見鶏。

先祖の歴史を子供達に伝えようというわけか、家族づれで訪れている人が多かった。

パレス・グリーンに面して建つカバナース・パレス。ウィリアムズバーグの建物の中でも代表的なもので、周りのパレス・グリーンともども、1700年代の感じそのままに残されている。帆船にゆられて大西洋を越え、はるばるバージニアの植民地へやって来たイギリス人は、ここへ本格的なレンガ造りの建物を建てたのだ。

イギリス本国の軍隊に対して起こった独立戦争。デューク・オグ・グロースター・ストリート脇の広場では、当時の軍隊の様子をデモンストレーションしてくれる。

当時のユニフォームに着替えて、デンモンストレーション参加。

「ファイフ・アンド・ドラム」といわれる、軍楽隊の演奏で行進する。

当時のウィリアムズバーグの生活を再現するために、様々なプログラムが組まれている。

クリスマスが近いある日、ウィリアムズバーグは、いつもと様子が違っていた。その日は、一年に一度のクリスマス・パレードの日だったのだ。

車の乗り入れが禁止されているデューク・オブ・グロースター・ストリートも、この日だけはパレード車の通行が出来る。

コロニアル・ウィリアムズバーグの中にある、ウィリアムズバーグ・インは、アメリカを代表するホテルで、昭和天皇も泊まられたことがある。

ウィリアムズバーグがバージニア植民地の首都になる前の1693年、ハーバード大学に次ぐ2番目の大学としてカレッジ・オブ・ウィリアム・アント・メリーが開校した。

カレッジ・オブ・ウィリアム・アンド・メリーは、ジェファーソン、モンロー、テイラーなど歴代大統領も卒業しており、アメリカの名門校として知られている。

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