歴史の町フィラデルフィアとウィリアム・ペンの森

フィラデルフィアは、ニューヨークに次いで、東海岸第二の人口を誇る大都市だ。そしてまた、合衆国がヨーロッパの植民地から独立して、一つの国家に生まれ変わる際、最も重要な役目を果たした都市でもある。

当時、商売や交易にたけていた、クェーカー教徒によって開拓された、ペンシルベニア植民地の首都、フィラデルフィアは、北にボストン、ニューヨーク、南にウィリアムスバーグと、回りを大きな都市が囲んでいるという立地条件もあって、自然に新生国家の中心地となっていったようだ。ほんの短い間、ニューヨークなどにその座を受け渡した時期もあったが、後にワシントンD.C.に首都が置かれるまでのほとんどに期間、アメリカの首都として君臨していた都市なのだ。

独立宣言書に、各植民地の代表がサインしたのが、フィラデルフィアに現存するインディペンデンス・ホール。合衆国統合のシンボルにもなっている自由の鐘も、この町に古くから伝わってきているものだ。また、ここは、アメリカでも一番最初に作られたものが多いことでも知られている。最初の銀行、最初の病院、最初の動物園、最初の日刊新聞、最初の造幣局、最初の医学部などなど、あげたらきりがない。実際に訪れて見ても、華やかな伝統と、フロンティア精神に基づいて、発展を続けているといったイメージが感じられる都市だった。

独立後、アパラチア炭田で、良質の無煙炭などが採れ、また、現在オイル・シティーと呼ばれるようになっている場所で、石油が産出されるようになったペンシルベニア州は、国内でも有数の工業地帯として急成長をとげることになった。1900年代の前半、製鉄所の町として栄えていたピッツバーグは、煙突からでる煙で、町全体がかすんでしまうほど空気が汚れていたという。当時、日本ではまだ、「公害」などという言葉すらなかった時代に、この町ではすでに公害を克服する努力を始めていたわけだ。今日のピッツバーグは、再び美しい空気を持つ町となり、工場公害を乗り越えた都市としても、世界中に知られることになったのだ。

州都ハリスバーグに近い、サスクハンナ川の中洲にある、スリーマイル島に作られた原子力発電所で事故があったのは一九七九年のこと。チェルノブイリ原発事故の年前のことだ。事故発後ただちに、住民に詳細を連絡、原子炉は運転停止、以後、徹底的な原因究明が続けられている。早期発見以後の迅速な措置のおかげで、チェルノブイリのような大事故にはならずにすんだといえるだろう。ペンシルベニア州は、アメリカ合衆国の「キーストーン(要の石)」といわれれいる。つまり、独立当初から現在に至まで、常に中心的な存在にいるというわけだ。

アメリカ第5の都市、東海岸では第2の都市フィラデルフィアの町は、どんどん発展を続けている。フィラデルフィアのスカイライン。

シティー・ホール、市庁舎に通じる目抜き通り、ブロード・ストリートと、途中で交差するウォルナット・ストリート、マーケット・ストリート。この辺りが、フィラデルフィアのビジネス中心街だ。

たまたま「プロクレイム・リバティー」という文字がきざんであった関係もあって、フィラデルフィアに古くから伝わっているこの大鐘が、アメリカ合衆国独立の象徴として使われることになった。以前は、インディペンデンス・ホール内に展示されていたのだが、独立200年を記念して、新しい建物に移された。

各植民地の代表がこのインディペンデンス・ホールで、独立宣言書にサインすることによって、アメリカ合衆国の独立が成立したのだ。

インディペンデンス・ホールの正面に収められている自由の鐘

インディペンデンス・ホールの内部。ここで代表が独立宣言書にサインをしたのだ。

フィラデルフィアには、政治家であり、また科学者でもあったベンジャミン・フランクリンが創立した、ペンシルベニア大学がある。

1751年に創立したペンシルベニア大学は、フラデルフィア・アカデミーとして運営されている。フランクリンは、ここで宗教に関係ない、科学的な学問の場を作りたかったようだ。

「ペンの森」ペンシルベニア州にあるだけあって、緑の素晴らしい環境の中にあった、ペンシルベニア大学。

あの野口英世の留学先としても有名なペンシルベニア大学。ここでは、彼の記念施設をつくる計画も進んでいるようだ。

フランクリンの業績をたたえる、フランクリン・インスティテュート・サイエンス・ミュージアム&プラネタリウム。

ベンジャミン・フランクリン・パークウェイ内にある、フィラデルフィア・ミュージアム・オブ・アート。中には日本の茶室も。

市内の南側には、イタリアン・タウンがある。イタリヤ系の移民の多くが住み着いていて、マーケットもイタリヤ料理の材料で一杯だ。市民にも人気のマーケット。

イタリアン・タウン近くで見つけた、タウン・ハウス式のアパート群。

イタリヤ系の人々は、コロンブスがアメリカ大陸を発見した、コロンブス・デーを盛大に祝う。

フィラデルフィア様式の住宅も、最近は数が減ってきているようだ。

アリゲイニー川とモノンガヘラ川が合流してミシシッピー川の支流、オハイオ川になる。その合流点にできた都市がピッツバーグ。鉄鋼の町として、また川を利用した港町としても有名な所だ。政治家によってではなく、地元企業、住民によって、公害を克服した町だ。

3つの川の合流点なので、周囲にはたくさんの橋がある。

これはスモッグではなくて、雨。

ピッツバーグの町の再開発のシンボル、ゲートウェイ・センター。この先の右側に、全米の鉄鋼労連の建物もある。

ユニバーシティ・オブ・ピッツバーグのカセドラル・オブ・ラーニング。1935年に建てられた、42階建ての高層ビルの教室だ。

ピッツバーグは、大学の町でもある。このユニバーシティ・オブ・ピッツバーグの他に、カーネギー・メロン大学などもある。

アメリカのチョコレートとして、あまりにも有名な「ハーシー」のチョコレート工場。州都ハリスバーグ郊外にあった。

スリーマイル島原発の全景。1979年3月28年に2号原子炉が事故をおこし、それ以来発電を停止している。これは、この事故の実態を一般の人にPRする目的で建てられたビジター・センターの屋上から撮ったもの。

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