ペンシルバニア州

独立宣言書のインディペンデンス・ホール、自由の鐘のフィラデルフィア、近代工業と公害のピッツバーグ、スリーマイル島の原発事故と、ニュースには事欠かない州だ。

アメリカ合衆国ができる少し前、国内には、まるで雨後の竹の子のように、たくさんのヨーロッパ各国の植民地ができていた。その各国の植民地の代表達が集まって、独立宣言書にサインをした場所、それが、現在のフィラデルフィアに残されている、独立記念館「インディペンデンス・ホール」。そしてここは、合衆国憲法の草案が起草されたところでもあるのだ。

フィラデルフィアはまた、1776年に合衆国が独立した後の、1790年から1800年の間、一時的に合衆国の首都でもあった都市なのだ。

最初にこの地に入植してきた、クェーカー教徒のイギリス人、ウィリアム・ペンの名前にちなんで、「ペンの森」という意味をもった、緑の州、ペンシルベニア州は、イギリス人の他にも、スェーデン人、フィンランド人、オランダ人、スコットランド人、アイルランド人、ドイツ人と、たくさんの国の入植者が住み着き、彼等が力を合わせて開発してきた土地だ。そしてその中には、その当時の生活をそのまま続けているユニークな人々、「ペンシルベニア・ダッチ」もいる。

50州の中で、第四位の人口を誇るペンシルベニア州は、さまざまな人種のいりまじった歴史の中、観光産業の他に、石炭や石油産業、そして政治の上でも重要な位置をしめる州なのだ。

ペンシルベニア・ダッチのアーミッシュ

アーミッシュとの最初の出会いは、二十数年前、デラウェア州に住む知人、ケート・リー・ドーティーおばあさんが、ランカスターを案内してくれた時のことだ。

この土地に住み着いた入植者の中で、特にドイツからの入植者は、「ペンシルベニア・ジャーマン」、または「ペンシルベニア・ダッチ」と呼ばれている。その中でも、「メノナイト」と呼ばれるキリスト教の一派の中で、「アーミッシュ派」の人々は、二十世紀の現在でも、一八世紀精神と文化を強く残した生活を、当時と全く変わらずに、厳然として続けている、ユニークな人々なのだ。

州全体が、巨大なアパラチア山脈にすっぽり入っているようなペンシルベニアでは、ランカスターもほとんどが丘陵地帯、まわりとは遮断されたような感じだ。道路は昔の農道のまま、幾つも続く小さな丘をこえて、アーミッシュの生活をみようとやってきた。

エンジンを止めて耳をこらしてみると、遠くのほうから「パカ・パカ・パカ」と、ひずめの音。前方の丘の上につづく道の上に、真っ黒な一頭たての馬車に乗った、黒い服を着たアーミッシュが姿を現わしたのだ。

あわててカメラをむけて立て続けにシャッターをおした所、ドーティーおばあさんが「彼等は、写真をとられるのが嫌いなのですよ」と教えてくれた。写真や鏡が家の中にあると、どうしてもオシャレをするようになってしまう。そうすると、200年以上も前からぜいたくをせずに、質素で勤勉な農夫になることだけに努めてきたアーミッシュの文化がくずれてしまうからなのだそうだ。

写真が嫌いだといわれても、写真家の私に、こんな珍しい光景を目の前にして、シャッターを押すなというのは無理な話だ。先祖からの文化を大事に守っている彼等の様子は、写真に撮って多くの人に紹介してあげたいと思ったのだ。それに、直接は本人の手にわたらない写真ならいいのではないかと思ったのだが、どうもそうではないらしい。

農場で働く人に頼んでみたり、望遠レンズでねらって見たりしてみても、彼等は、私がカメラで覗いているとわかると、さっと後ろをむいて向こうへ歩いていってしまう。彼等の、強い意志はなるほど驚くほど思ったように撮影することもできずにその時の訪問は終わってしまったのだ。

その後、何年か後に、再びアーミッシュの人を近くでみる機会があった。

あるペンシルベニア・ジャーマンの友人が、自分の仕事場でアーミッシュの人が一緒に働いているという。もう一度写真を撮ってみたいと思っていた私は、さっそく、ランカスターにある「ブラック・スミシング」という鍛治屋を訪ねてみることにした。

仕事場の奥の方で、黒っぽい仕事着をきて馬車の車輪の修理をしているのがアーミッシュの人。友人は、写真を撮ってもいいというのだが、本当にいいのか躊躇していたところ、オーナーが、「二〜三枚ならいいでしょう」と言ってくれた。わたしは、「二〜三枚」の部分だけ聞き間違えたふりをして、立て続けにフィルム「二〜三本」の写真を撮ってしまったのだ。

この写真集ができた時彼に届けたら、彼は喜んでくれるだろうか、それとも傷ついてしまうだろうか。できれば喜んでもらえるといいのだが。

農道を車で走って行くと、アーミッシュの馬車が次々と現れた。車を使わない彼等には、馬車が唯一の交通手段だ。

ランカスター郊外には「バード・イン・ハンド(手の内の小鳥)」という、可愛らしい名前の村があった。その村の、一軒のアーミッシュの農家から黒塗りの馬車が出てきた。

彼等も、買い物に行ったり、仕事に出かけたりする時には、一般の車道を利用する。18世紀の馬車が、車と一緒に走っているということで、交通事故も多いらしい。アーミッシュの人にとって、馬車の後にこんな真っ赤な物があるのは、耐え難い事のようだった。

屋根付きの馬車は、大人にならないと使わせてもらえない。これは、未成年者用の馬車だ。大家族制のアーミッシュの家には、たいてい2〜3の馬車があるようだ。

ある風が強い日。嵐になる前に仕事を済まそうとしているのか、普通ならいやがるはずのカメラに目をくれず、もくもくと仕事を続けるアーミッシュの人。

車の陰にいる私を見付けると、さっと逃げて行いってしまう。

こちらに向かってくる馬車も、私の前はフルスピードで通り過ぎる。

農作業でもトラクターなどは一切使わない。牛や馬を使って、広大な畑を耕しているのだ。

なだらかな丘の上には、見晴らしの良い道がある。ペンシルベニア・ダッチの人々の農家が何軒も見えるのだが、この中で、電線や電話線の一本もない家がアーミッシュの家なのだ。

アーミッシュの家は、庭の洗濯物の色でもわかる。もちろん洗濯機も乾燥機もない。すべて手洗いだ。未成年のうちは多少色のある物も着ることができるが、成人に達したアーミッシュ達は、決められた色以外の服装は絶対に着ることができない。

毎週金曜日にペンシルベニア・ダッチの人々がつくった農作物が買えるマーケット。ランカスターの人々はこの日を楽しみにしている。「グリーン・ドラゴン・ファーマース・マーケット」。

自家製の蜂蜜を売る農家。生みたての卵を売る農家。冬の間に作ったキルティングを売る農家など、アーミッシュの農家ではさまざまな物を売っている。

村の鍛治屋で働いていたアーミッシュ。カメラをむけると、一瞬困ったような迷惑そうな顔をしたが、きっと私の目的を理解してくれただろう。

ランカスター郊外エプラータにある、ファーマース・マーケット。ペンシルベニア・ダッチの人々も、店を出している。

ペンシルベニアダッチのメノナイト派人々。

ペンシルベニア・ダッチの人が、自分たちで作ったおいしい農産物を使って、家庭料理を食べさせてくれるレストラン。

ペンシルベニア・ダッチ・ファミリー・レストラン「グッド&プレンティー」。

日曜日は、畑仕事をしないで過ごす安息日。教会を持たないアーミッシュの人々は、仲間の家に集まって礼拝をするという。

子供の頃から、遊ぶ事を全く知らないようだ。家の掃除や畑仕事なども分担して手伝っていた。

家の前庭にいた、アーミッシュの子供達。

日曜日の朝の、ランカスター郊外の農道。今日は体を休めて、ゆっくりと聖書を読む日なのだ。

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