マウント・ワシントンの登山は、車とアプト式で

地図でニューハンプシャーを見てみると、州の北側に大きくアパラチア山脈の一部、ナショナル・フォーレストのホワイト・マウンテンがあるのがわかる。その山並みのど真ん中を南北に突き抜けているのが、高速道路、インターステイト九十三号線のフランコニアン・ノッチ・パークウェイだ。これを北上して、大昔の氷河期に作られた深い谷合い、「ノッチ」に入って行くことにした。

このあたりの一番の見所は、「オールド・マン・オブ・ザ・マウンテン」と呼ばれる、巨大な岩山だ。ホーソンやウェブスターの詩にもうたわれ、ニューハンプシャー州の道路番号標識にもその姿が使われているこの岩山は、頂上部分が老人の横顔のようで、その目が、まるで州の人々を見守っているかのようにそびえている。

ホワイト・マウンテンの最高峰は、マウント・ワシントン。北東部一高いこの山の、ふもとにあるブレトンウッズ町の近くから、「コグ・レイルウェイ」と呼ばれる、世界最初の登山鉄道が出発している。1869年に完成、歯車のような車輪が、三本ある線路の内の真ん中の一本にうまく引っ掛かるようになっていて、そのかみあわせによって登っていくこの蒸気機関車は、同じようなシステムで有名な、スイスの登山鉄道よりも古いもの。現在でも、三七度という世界で二番目の急勾配を、往復三時間かけて走っているのだ。

世界でもめずらしいこの鉄道に乗らない手はないと思ったのだが、よく考えて見ると、私はこの列車には乗れないのだ。この列車の写真と風景を一緒に撮るためには、列車の外にいなくてはいけないのだから。

プロに徹することにした私は、1861年、まだ「コグ・レイルウェイ」がつくられる前に完成した、有料道路「マウント・ワシントン・オート・ロード」で、いっきに頂上へ。道路脇にせまっている断崖絶壁を、なるべく見ないようにして、ひたすら前を見て走っていった私は、結局景色などなにも見れずに頂上についてしまったのだ。

まるで遊園地のまめ列車のようなコグ・レイルウェイを撮影した後は、恐怖の下り。ふもとのゲートでくれた注意書きには「降りる時は最後までローギアで」と書いてある。「ブレーキが必要な時は、ポンプのように、何回にもわけて踏み分けなさい」。「10分から15分ごとには、車を止めてブレーキを冷やしなさい」。

私は、まるで免許をとりたてのドライバーのように、最後まで忠実にその注意を守ってなんとか無事降りてくることができたのだ。

ホーソンの詩などにも出てくる「自然石でできた、「オールド・マン・オブ・ザ・マウンテン」」。

ニューハンプシャー州道の道路番号の表示には、この老人の顔がデザインされている。

フランコニアン・ノッチ・ステイト・パーク「オールド・マン・オブ・ザ・マウンテン」の展望台では、ナザニエル・ホーソンやダニエル・ウェブスターの詩が紹介されている。

古くから、自然に親しむリゾートとして開発されてきたニューハンプシャー州のホワイト・マウンテンには、数多くのトレッキング用のトレイルが作られていた。マウント・ワシントンのオールド・ジャクソン・ロード。

インターステイト93号線が、フランコニアン・ノッチと呼ばれる、氷河で作られた谷へはいっていく。周囲はホワイト・マウンテンのナショナル・フォーレスト。地元の人は、アメリカ一の自然だと自慢していた。

リゾート・ホテル「マウント・ワシントン・ホテル」。あの、ブレトンウッズ協定会議が開かれた所だ。

1861年に開通したマウント・ワシントン・オート・ロード。当時のまま残されている、麓の有料ゲート。

マウント・ワシントン・オート・ロード。なんとか余裕を持って走ることができた登りに比べて、下りは、必死。ブレーキの温度に気を配るのがせいいっぱいだ。

下りの途中には、救急用の水も準備されていた。こんなところでブレーキがきかなくなったら大変だ。

120年以上も前、世界で最初のアプト式鉄道として誕生した、マウント・ワシントンの「コグ・レイルウェイ」。海抜1402m,世界第2位である37度の急勾配「ジェイコブス・ラダー」。

ヨーロッパ・アルプスの登山列車の歴史よりも古い歴史を持つこのコグ・レイルウェイは、一度に150人の人を乗せて、3時間かけて山を往復する。一回の登山で、1トンの石炭と、1000カロンの水をつかっているという。

水蒸気を効率良くつくるために、わざと車体が傾いているのだそうだ。

ブレトンウッズからほど近い、コグ・レイルウェイのふもとの駅。

運転手さんのスタイルは、1869年当時のままだった。

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