ニューハンプシャー州

イギリスのハンプシャー地方から名前をとったニューハンプシャー州は、アメリカ北東部、ニューイングランドと呼ばれる地方の中でも、マサチューセッツ州と共に、イギリス文化、特にイギリスの農村地方が強く残る所だ。

この地方の冬は、とても厳しく雪が多い。そのため、冬には、大昔の氷河が作り出した美しい氷河湖や山々の景色を見る人や、アパラチア山脈の一部であるホワイト山地に面して作られた数多くのスキー場を求めて来る人々で大変な賑わいになるのだ。夏は夏で涼を求めた人々が、ニューヨーク、ボストンなどからぞくぞくと訪れるてくる。ここは、一年を通して賑わう、リゾートの州なのだ。

また、1905年、日露戦争終結時に、その講和条約交渉の舞台となったポーツマス軍港のあるポーツマスの町は、日本人にはなじみが深い所だ。そして1944年、IMFや世界銀行を設立し、ドルを国際通貨として認めるなどのブレトンウッズ協定が結ばれた、国連の経済通貨会議が行われたブレトンウッズの町も、ここニューハンプシャー州にある。もう一つ、ニューハンプシャー州の名前が一番多くテレビから流れるのが、4年に一度大統領選挙の時。50州の中でも、一番最初の予備選挙がここ、ニューハンプシャー州で行われるからだ。

日露戦争、ポーツマス条約の町

日露戦争の講和条約が結ばれた町、ポーツマスは、日本の歴史にとって、非常に重要な町だ。小さい頃から、何度も耳にしている地名なので、なんとなく町にも詳しいような気がして、何の準備もせずにポーツマスを訪れた。現地へ到着した後、始めて開いたガイドブックには、条約の町としての紹介はしてあっても、実際にどこでどのようにおこなわれたのかは、なんの説明もしていなかった。

町の中心、ノース・チャーチのあるマーケト・スクエアやボウ・ストリート、セレス・ストリートの桟橋へ行ってみても、それらしい所は全くなし。ポーツマスの町発祥の地として、現在は「ストロベリー・バンク・ミュージアム」という野外ミュージアムになっている所でも、かろうじて1950年代のアメリカ人の生活の展示があるだけで、1905年に終結した、日露戦争や条約については何ひとつふれていないのだ。

簡単に見付かると思っていた「ポーツマス条約の町」としてのポーツマスは、どこを探しても見つからない。もしかしたら、同じ名前の違う町なのではないかと、自信がなくなってきてしまったのだ。

「困った時のお役所頼み」といった訳で、町の商工会議所「グレーター・ポーツマス・チェンバー・オブ・コマース」へ出かけることにした。そこは、町の産業の大部分を占める観光のための、観光案内所も兼ねてるところだった。

あんんまりピンとこない様子の係員の人が教えてくれるには、すぐ近くにある、ザ・ポーツマス・マリーン・ソサエティーに行けば、最近そこで出版した、ポーツマス条約に関する本、「ゼア・アー・ノー・ビクターズ(征服者はいない)」を見せてもらえるので、行って見なさいとのこと。紹介の電話もかけておいてくれたのだ。

「地元の人からみたポーツマス条約に関する本」という副題がついたこの本には、大山元帥、東郷元帥らの顔写真、戦場の写真などが掲載されている。そして、日本の使節団と、ロシアの使節団が話し合いをした会場として、ポーツマス軍港の中の「ジェネラル・ストアー・ビル」の写真がやっと登場だ。その後にはポーツマスの町の真ん中をパレードをする関係者の姿もあった。そして、その本の中で見つけた、たった一つの現存するものは、使節団の宿舎として使われたという、ホテル・ウェントワース跡だった。

結局、このポーツマスの町で私が出会った、条約に関係した物は、本一冊とホテル跡だけ。もっとも、実際にアメリカが関係した戦争ではなかったわけなのだから、日本人が思う程、思いいれはないのが当たり前なのだろう。

ボウ・ストリートのオールド・フェリー・ランディングから見た、ポーツマス港。

セレス・ストリートの桟橋の方から見るボウ・ストリート。その向こうにポーツマス軍港、「ネイバル・シップヤード」が見える。

ポーツマス郊外の、大西洋に面した丘の上に建つ、ザ・ホテル・ウェントワース。日本の使節団と、ロシアの使節団が、条約交渉期間中、ずっと宿泊していたホテルだ。

ストロベリー・バンクのすぐ前から見渡す事ができる、現在のポーツマス軍港、ポーツマス・ネイバル・シップヤードだ。

ポーツマス漁港。北大西洋漁場は、世界的にも漁獲量の多い漁場として有名だ。向こうに見えるのは、ポーツマス軍港。

ポーツマスは、軍港や漁港としてだけでなく、大西洋航路の重要な貿易港でもあるのだ。港につまれたグラナイト。

ポーツマス軍港の周囲でもひときわ目立つ立派なビル。これは何と、海軍の刑務所なのだそうだ。

一時ニューハンプシャー州の州都にもなったことがある、ポーツマス。1600年代の建物から、1800年代の建物が数多く残されていて、イギリスの都市を訪ねているような気がしてくる。イギリス系アメリカ人にとっては、故郷のイメージの町だ。

「オールド・フェリー・ランディング」と呼ばれる、昔のフェリー・ボートの船着き場だったあたり。ボウ・ストリートに建ち並ぶ建物。

昔の港に面した、倉庫街が残るセレス・ストリート。観光客のためのおみやげ店や、ギャラリーが並ぶ。

大西洋航路の貿易で栄えてきたポーツマスには、貿易商の残した大きな建物が軒を並べている。町の中央にそびえるノース・チャーチを中心に、マーケット・ストリート・ダニエル・ストリート、コングレス・ストリート、ステート・ストリートなどには、古い豪邸をそのままレストランにしている所もあった。

マーケット・スクエアは、ポーツマス市民の溜まり場だ。早朝、モーニング・コーヒーと朝刊でくつろぐ人。

ストロベリー・バンク付近は、タウンハウスといったイメージの住宅が多い。朝刊の配達。

マーケット・スクエアのグレイハウンド・ターミナル駅兼新聞屋。

ストロベリー・バンク・ミュージアムは、1695年から1940年までの建物を保存する野外博物館だ。1795年に建てられたドリスコ・ハウス内の1950年代の生活。

ドリスコ・ハウスの中は、1950年代のアメリカの良き時代の生活を保存する展示館になっている。1950年代のキッチン。

ドリスコ・ハウスのユーティリティー・ルーム。昔懐かしい洗濯機の姿も見える。

アメリカ文化が世界をリードしていた、アメリカン・ドリームの時代の生活は、現在の生活ともほとんど変わらないようにも感じられた。

1695年に建てられた建物。まだ、イギリスの植民地だったころのニューハンプシャーの生活をかいまみることができる。

1908年に建てられたアルドリッチ・ミュージアム。中の家具類は、1830年〜40年頃のものが中心だ。

ベッドの下のロープは、「スリープ・タイト(ぐっすり眠りなさい)」という語源、ロープをきつくはって眠った様子を表した物だ。

バスルーム付きの寝室ができる前のベッドルーム。上が洗面所、下がトイレ。

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