ニュージャージー州

最近のニュージャージー州を表現するのに一番ぴったりの言葉は「ニューヨーク郊外の住宅地」だろう。もともとは、西側の緑豊かな田園地帯に多くあった住宅地も、最近では北側の橋を渡ってすぐの所にまで作られていて、中には日本人駐在員の家もあるようだ。通勤に便利だという理由で開発されている住宅街だが、それにつれて車の数も増え、毎朝晩、ニュージャージーとマンハッタンを結ぶ、二本のトンネルと一本の橋のラッシュは殺人的なものがある。

北部ニュージャージーの住宅街の前に立ち塞がるのが、ニュージャージーの工業地帯。かの有名な発明王、トーマス・エジソンの研究所を含め、石油化学工業から繊維、機械、食品など幅広い分野の工場が立っているのだ。そしてその前にはニューヨーク・ニュージャージー・ポート・オーソリティと呼ぶ港湾公団が持つ、巨大な港がある。ニューヨークの側から対岸のニュージャージーをみると、海岸線に沿ってずらりと並ぶ工場とその高い煙突、そしてその煙しか見えず、まるで工場しかない州のようなイメージをもってしまう。ところが、工場地帯以外のニュージャージー州は、北部は森や湖に囲まれた美しい住宅街、中南部は海岸平野が続く美しい所。州のニックネームを「ガーデン・ステイト」という通り、近郊農業の畑が点在する自然豊かな州なのだ。

ニューヨークの郊外とガーデン・ステイツ

ニューヨークの高層ビルから眺めるニュージャージー州は、見渡す限りの煙突だ。その煙突の向こうにある人々の暮らしぶりや、美しい自然は、実際にニュージャージーに行ってみないと全く分からない。

ニューヨークのミッドタウンから、ハドソン川をくぐるリンカーン・トンネルを抜けると、そこはもうニュージャージー州。まず最初に目に付くのはやはり工場地帯の煙突だ。びっしりと立ち並んでいる工場の群を我慢して通り抜けると、次ぎに見えてくるのが、湿地帯を埋め立てて作った、「メドーランズ・スポーツ・コンプレックス」という巨大なスタジアム。ここはフットボール・チームのニューヨーク・ジャイアンツのホーム・グラウンドになっている。そして今度は、アメリカの最大ともいわれた、ウィローブルック・ショッピング・センター。このショッピング・センターを過ぎた辺りから南が、ニューヨーク郊外の高級住宅街として知られる、モントクレヤーとか、エセックスフェルスとか、メイプルウッドといった町になっていく。美しい自然に囲まれた、高級住宅街の間には最近ニューヨークから脱出してきている企業のオフィスも点在している。この辺りまでくると、工場の姿は全くなく、まるで別世界の雰囲気だ。

名門ラトガース大学が見えてきた。ニューブランズウィックにあるこの大学は、明治維新のころ、多くの日本人の留学生を受け入れた関係で、現在でも日本との関わりが非常に深い大学だ。さらに奥へすすむと、モーリスタウンやプリンストンといった独立戦争当時の古戦場となった町へ到着する。このプリンストンには、アイビーリーグの一員で古い校舎が一面アイビーで覆われている美しい大学、名門プリンストン大学があるのだ。この町は、独立戦争後、一時合衆国の首都がおかれていたという、由緒正しい町でもあるのだ。

緑豊かな畑の中をユーターンして、ニューヨークへ戻る途中、再び工場地帯に近付いて来た辺りで見付けたのが一八八七年に立てられたと言う、エジソン研究所だ。この美しいニュージャージーに、あの煙突の群を作った張本人だと思うと、なんだかイメージが悪いのだが、世界にとっては偉大な発明家だ。敬意を表して立ち寄ることにした。

生涯に1093種類もの発明をしたというエジソンだが、そのうちの520の特許をここでとったのだとう。研究所の前の歩道に敷いてあるポルトランド・セメントも、中を照らす白熱球も彼の発明だ。

エジソンが生きていた当時から働いていた人が、今でも工場の機械にもくもくと油を差していたのが印象的だった。

マンハッタンからは、このリンカーン・トンネルと、ホランド・トンネル、ジョージ・ワシントン・ブリッジなどを渡ってニュージャージーへ渡る。

マンハッタンから西へ伸びる州道ルート3号線で振り返ると、マンハッタンのミッドタウンのビル群が見えた。

「ニューヨーク・ニュージャージー・ポート・オーソリティー」と呼ばれる港湾公団が、、ニューヨーク湾の中に幾つも桟橋を作っている。この港の奥にあるのが、巨大な工場地帯だ。ここからは、美しい住宅街の姿は全く見えない。

マンハッタンの治安の悪さや不景気の影響で、郊外脱出を図る企業が続出。ニュージャージー州にも。日本企業を始めぞくぞくと企業が進出してきている。

独立戦争当時の古戦場も数多く存在する。1779年12月から、1780年6月までジョージ・ワシントン軍の本部が置かれたモーリスタウンのフォード・マンションも当時のままだ。

大西洋岸のアトランティック・シティーには、長さ8キロに及ぶボードウォークがあるビーチ。現在はカジノを解禁して、東海岸のラスベガスといわれている。

ペンシルベニア州との州境を流れるデラウェア川の渓谷は、デラウェア・ウォーターギャップ・ナショナル・リクレーション・エリアとして、ニュージャージーの人々に親しまれている所だ。

ニューブランズウィックにあるラトガース・ユニバーシティーは、1766年の創立、ニュージャージーの美しい緑のなかにある大学だ。

ニューブランズウィックの町はラトガース・ユニバーシティーの町といっても過言ではない。明治維新の直後、この大学に日本からの留学生が300人以上もやって来たのだと言う。

ニュージャージー州立ラトガース・ユニバーシティーは、いくつかのキャンパスに分かれている、25のカレッジが集まってできた大学だ。キャンパス間にはシャトル・バスも走る。

ラトガースのキャンパスでみつけた別名、オレンジ公ウィリアム、ウィリアム3世の像。イギリスの植民地時代、大学の創立のきっかけを作った人だ。

マンモス大学にも関わらず、落ち着いた雰囲気を持ったラトガースのキャンパス。

アイビーの似合う町、プリンストンにあるプリンストン大学。町にはこの他にも、プリンストン高等研究所、プリンストン神学校もある。

プリンストン大学の図書館。州議事堂だったこともあるナッソー・ホールなど、落ち着いた建物が多く、全米一美しいキャンパスといわれている。

第一次大戦当時のアメリカ大統領、ウッドロー・ウィルソンは、この大学の学長だったこともある。

長年、男子校としての伝統を築いてきたが、1969年から男女共学になっている。

プリンストンの町には1685年に立てられた、ナッソー・インとか、1777年の古戦場など、歴史的な建物が多い一方、最先端をいく日系人ミノル・ヤマサキ設計のウッドロー・ウィロールソン学校もある。

発明王トーマス・エジソンの研究所がウェストオレンジに「エジソン・ナショナル・ヒストリック・サイト」国立公園として残っていた。徹夜でよく泊まり込んでいたという、資料室にあるエジソンのデスク。

ニュージャージーが、アメリカを代表する工業地帯となったのは、このエジソンの力による所が大きい。

エジソン研究所内のマシーン・ショップ。実際に、腕時計からSLまで、なんでも試作できた工場だ。メンロパークから移されたこの研究所は、1887年に作られたもの。

エジソンが研究していた当時から働いていた人が、丹念に機械に油を差していた。

エジソンは、二度目の奥さんをもらってから、研究所の近くのリウェリンパークという高級住宅街に「グレモント」という家を買った。

「グレモント」の中でも発明ができるように、「ソート・ベンチ」と呼んだ、思索用のデスクと椅子を用意していた。

白熱電球の実験の時、フィラメントに日本の竹を使ったことは有名だ。これはパリの万国博に展示したもの。

ウェストオレンジの研究所の時代は、1887年から1931年までだが、その間一番力をいれた研究が、「フォノグラフ」という、レコードの原型だ。

これは「自動電報機」というもの。1870年から1876年の間、ニュージャージー州のニューアークに研究所があった時代の発明だ。

ウェストオレンジに研究所を移した後、マイブリッジの写真にインスピレーションを受け、「キネトグラフ」という、映画の研究を開始した。この時、ジョージ・イーストマンのセルロイド・フィルムも使用したという。

1870年に発明した、ユニバーサル・ストック・プリンターという、証券市場の相場表示機。この機械で40,000ドルも儲けたエジソンは、念願の研究所を持つことができたのだ。

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