ミズリー州

セントルイス、インディペンデンス、セントジョセフといった、西部フロンティアへのゲイトウェイの町がある。またミシシッピー川を通じて、深南部との関わりも深い。

ミシシッピー川河畔の町、ミズリー州セントルイスのニックネームは「ゲイトウェイ・トゥー・ザ・ウェスト」。ミシシッピー川に面する公園には、高さ、192mの巨大な「ゲイトウェイ・アーチ」がそびえている。こここそが西部への玄関口、といった雰囲気の堂々としたアーチだ。

西部開拓時代中期のxxxx年頃、ようやくミシシッピー川まで到着した開拓団は、川の向こうにある見知らぬ世界に備え、さまざまな準備を行う必要があった。そのための基地が川を渡ったすぐのところにある町、セントルイスだったのだ。大陸の真ん中にあり、開拓団にとっても一番近いルートであるこの町は、鉄道の駅もあり、またミシシッピー川を利用してやってくる人にとっても、とても便利な町だったのだ。

ミシシッピー川支流のミズリー川沿い、カンサスシティー郊外にあるインディペンデンスの町は、西部開拓団の利用した「メイン街道」の出発点としても知られ、さらに北上したセントジョセフは、1860年代、西海岸のカリフォルニア州サクラメントまで繋がっていた、「ポニー・エクスプレス」という早馬の郵便配達の本部が置かれたところでもある。

このようにミズリー州は、西部開拓時代から現在にいたるまで、長年にわたって西部への玄関口としての役割を果たしているのだ。

フロンティアヘの入口、ミズリー州

ニュージャージー州を出発、いくつめかの台地をおりて、ようやくミシシッピー川の向こう側に、河畔の港町セントルイスが見えてきた。川の手前はまだイリノイ州、川を渡って始めてミズリー州に入るのだ。

橋を渡って、セントルイスの町に入ろうとするとき、突然私の前に、巨大なアーチが現れた。どうもこの門をくぐらないと、町へは入れないようになっているようだ。

建築家、ネロ・サリナンが設計し年に完成したこの巨大な「ゲイトウェイ・アーチ」は、高さ192mのステンレス製で、西部への入口の門として、アメリカを代表するモニュメントのひとつだ。

セントルイスに立ち並ぶ、どの高層ビルよりも高くそびえるこのアーチは、もともとはジェファーソンをたたえる目的で作られたものだが、西部開拓がどれほどの大事業だったかを示すと共に、当時の開拓者に対する敬意の意味ももっているはずだ。この町を訪れる前に、すでに何度も西部を旅行している私は、これを見た時、なんだかアメリカへ裏口から入ったようなような気がしてしまった。そこで、当時の苦労や彼等のフロンティア精神を少しでも理解するために、このゲートをくぐり、当時の様子をたどりながら、正当なルートで改めて西部を訪ねてみることにしたのだ。しかし、アーチの向こう側、ミズリー州の東の端に当たるセントルイスの町で現在、西部開拓当時の様子が分かるものはなにもない。唯一、開拓当時のままの広大な農地に囲まれて建ってる州議事堂にその影を見る位だ。

拍子抜けした私は、セントルイスの町を抜けミズリー川沿いに進み、西隣のカンサス州との州境、インディペンデンスの町までやって来た。ここは開拓時代に幌馬車隊が通った、「オレゴン街道」、「カリフォルニア街道」、「メイン街道」など、多くの街道の起点になった町だ。きっとなにかあるだろうと思っていたのだが、ここでもそれぞれの街道の起点にポツンと記念碑がたっているだけ。

地元の人にとっては、西部開拓の起点の町というよりも、第33代大統領、トルーマンの出身地だということのほうが重要な様子だ。その名の通り、「独立心」の強い住民には、通り過ぎていった開拓者達のことはあまり興味がないようである。

開拓時代の面影を一番大事にしていたのは、インディペンデンスを北上したところの、セントジョセフという町だ。ここは、当時「ポニー・エクスプレス」という、早馬郵便の本社が置かれた所。現在でも本社が博物館として残されていて、当時の様子を詳しく紹介していた。

セントルイスのミシシッピー川河畔に、そびえるゲイトウェイ・アーチ。ルイジアナ植民地購入を決断した、ジェファーソンを記念したものだ。

ネロ・サリナン設計のゲイトウェイ・アーチは、高さ192m。市街のどの建物よりも高く、ミシシッピー川を見下ろしている。

河畔からゲイトウェイ・アーチをくぐり真っ直ぐ進むと、セントルイスの目抜き通り、マーケット・ストリートだ。いわば幌馬車隊の銀座通り。

ミシシッピー川に浮かぶ「ショーボート」のレストランは、川船時代のセントルイスの姿を思い起こさせてくれる。

「ショーボート」に乗って食事をしたりイベントを楽しんだりするのが、セントルイス的な過ごし方。

西部への入口の町だったセントルイスだが、時が過ぎ、開拓が進んでいくにつれて、入口の町としての役割は小さくなっていったようだ。

オレゴンとサンタフェ両街道の起点の町、インディペンデンスの近く、カンサスシティー。

マークトウェインは、ミズリーの出身。このミシシッピーの流れを見て育ったのだ。

マークトウェインの生まれたハンニバル近くで見つけた農家。牧畜業を始め、コーン、小麦、大豆の生産がミズリー州の主な農産物。

ミシシッピー川沿いを走る鉄道には、昔ながらの線路や駅が残されている。

交通の要衡として栄えて来たミズリー州には、現在も主要道路が数多く走っている。

ミズリー州の名産品、コーンコブ・パイプは、マッカーサーも愛用していた。

牧畜業の盛んなミズリー州では、牛皮を使った靴の生産も盛んだ。

カンサスシティー郊外のインディペンデンスは街道の町。サンタフェ街道とオレゴン街道は、この裁判所の所から始まったのだ。この裁判所は、第33代大統領、トルーマンが判事を務めていた所でもある。

地元出身のトルーマンをたたえる像が、裁判所の前に立っている。

インディペンデンスには、トルーマンの私邸も残され、「ハリー・トルーマン・ナショナル・ヒストリック・サイト」という、国立公園局の管理する公園になっている。大統領時代も、「サマー・ホワイトハウス」としてよく利用していたという。

ハリー・S・トルーマン・ライブラリー・アンド・ミュージアムには、大統領と夫人の墓がある。

出身地のインディペンデンスに建つ、トルーマン大統領の記念ライブラリー。中には大統領の事務所が再現してあった。

インディペンデンスの町のはずれの広大な敷地を利用して作られた記念ライブラリー。

西部開拓当時の第7代大統領、ジャクソンの像。

1827年に建てられたログ・ハウス「パイオニア・スプリング・キャビン」。西部開拓時代の代表的スタイルのログ・キャビンだ。

トルーマンのが判事をしていた裁判所の脇にある、オレゴン街道の出発点を示す石碑。

サンタフェ街道の出発点を示す石碑も、裁判所の敷地内に。

オレゴン街道が、最初にぶつかる鉄道の踏切。

インディペンデンスからミズリー川沿いに北上したところにあるセントジョセフは、西部への郵便、早馬を走らせる「ポニー・エクスプレス」の本部のあった町。

現代の郵便屋さんも、暑さに負けずに働いている。

セントジョセフにある「パティー・ハウス」は、1858年にホテルとして建築されたが、1860年にポニー・エクスプレスの本部となった。現在は、パティー・ハウス・ミュージアムとして一般公開されている。

パティー・ハウスには、ポニー・エクスプレスを始め、オレゴン街道の歴史も保存されている。

セントジョセフの町にあった、「ポニー・エクスプレス」の起点を示す石碑。終点のカリフォルニア州のサクラメントまで、何頭もの馬を乗り換えて、郵便を運ぶ大仕事だった。

パティー・ハウスのすぐ近くのジェシー・ジェームス・ホーム。銀行ギャングだった彼の隠れ家だった。仲間にみつかった彼は、1882年にここで殺されてた。

パティー・ハウスから終点カリフォルニアまでの間には、いくつもの中継地点「ステーション」が作られていた。

ポニー・エクスプレス・ステーション。ここで馬を乗り換えたり、人員の交替をした。西部開拓のピークから約10年、1860年にはこの様な郵便システムが開通していたのだ。

ポニー・エクスプレスの郵便は、皮のバッグにいれられ、馬の鞍につけられいた。

セントジョセフからサクラメントの間、3200km、その間の16kmごとに設けられていたステーション。料金は1オンス(約28g)あたり、5ドル、終点までには10日ほどかかった。

パティー・ハウス・ミュージアムに残されている、ポニー・エクスプレスが使っていた馬の鞍には、郵便をいれるケースが取り付けられていた。

ポニー・エクスプレスは、1860年4月から営業が開始、わずか2年間しか営業しなかった。これは、エクスプレスの開業後すぐに電信事業が始まってしまったためだ。

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