カンサス州

アメリカ合衆国の本土48州のほぼ中央に位置するのが、ここカンサス州だ。カンザス・インディアンに由来した州名で、「カンザス」(南の風)と書くこともあるが、地元の人の発音では「カンサス」と聞こえる。カンサスは年間降雨量457mmと少なく、グレート・アメリカン・デザートと呼ばれるように、砂漠に近い平坦な土地が広がっている。以前は不毛な土地だったが、ロシア系の開拓者によって、乾燥した土地でも育つ小麦の種がもたらされ、今ではアメリカ一の小麦の産地となっている。

小麦の収穫期に訪れると、大型のコンバインが何台もキャラバンを組んで畑から畑へ移動する光景を目にすることができる。収穫期には、24時間のフル稼働という状態になるそうだ。

カンサス州にも、かつてカウボーイがテキサスの牧場から何百、何千頭もの牛を追って市場へ運び込んだ家畜取引所、「ライブ・ストック・マーケット」が残されている。カンサスのアビレーン、ダッジ、ウィチタという町は、まだ鉄道が開通していない1800年代に、牛の集散地として開けた町だ。

カンサスはまた竜巻でも有名でところ。「サイクロン」とか「トルネード」と呼ばれる竜巻が頻繁に発生する。カンサス州を取材している間にも、車のラジオからサイクロン警報のニュースが流れていた。

サンタフェ街道のあるアメリカ本土中央の州

ネブラスカ州のミンデンで時間をとりすぎてしまったため、カンサス州へ入る頃には太陽はもう畑の向こうに沈みかけて、コーンの穂先だけが夕陽に照らされていて、焦る気持ちに拍車をかけていた。

それでも「ジオグラフィック・センター・オブ・ザ・ユナイテッド・ステイツ(合衆国の地理的中心地)は右へ」という道路標識を目にしてしまうと、私のハンドルは無意識のうちに右へ傾いていた。アメリカ本土48州の「おへそ」は、ネブラスカ州のレバノンという小さな村の近くにあるコーン畑の真ん中に位置していた。日中はアメリカ国旗を掲揚してその所在を誇示しているが、日没が近くなるとその旗も取り込まれてしまう。さぞかしうら寂しくなるかと思いきや、西の空にまだ沈みきっていない太陽が真横の光線となって平坦な土地の中にポツンとある「おへそ」を照らすではないか。その光の存在感が、はるばるやってきた私の中に、逆に強烈な印象として残ったのだった。

いそいでカンサス州へ入った私は、まず何千頭もの家畜の集散地であったアビレーンの町へ。アイゼンハワー大統領が少年期を送った家や、大統領に就任してからの業績をたたえて建てられた「記念ライブラリー」、1850年から1900年までの「コットン・ブーム」と呼ばた時代のアビレーンの町並みを移築、再現した「オールド・アビレーン」などを訪ねた。これらは全て、古き良き時代のアメリカをしのばせるものだ。

第二次大戦直後のアイゼンハワーの時代は、私たち日本人のアメリカに対するあこがれが、現在よりもずっと大きかった時代だ。羽がついたような大きな車が町中を走り、家の中には電化製品がいっぱい。当時の貧しい日本にはまるで考えられないような生活だ。

そんな時代のアイゼンハワーの家にはそんなぜいたくなものは全くない。彼が当時の私たちの家とほとんど同じような所で育った事を知った私は、なんだか彼が身近な存在に思えてきてしまった。

この時代よりもう少し前、西部開拓が始まった頃、カンサス州をぬけて西へ向かって進んでいったメイン街道は「サンタフェ・トレイル」と呼ばれていた。このサンタフェ街道の最初の宿場町にコンシルグローブという町があるが、当時ここは旅の最終準備を整える町として栄えていた。またこの町は、この地方のインディアンとの間に和平が成立したところでもある。

本格的なサンタフェ街道はこのコンシルグローブの町から先のことをいう。つまりここは旅立ちの町でもあるのだ。ここに建っている「マドンナ・オブ・サンタフェ・トレイル」と呼ばれる銅像は、母親が子供を旅へ送り出す心境を表現した、サンタフェ街道のシンボル的な存在だ。

「ジオグラフィック・センター・オブ・ザ・ユナイテッド・ステイツ」とかかれた記念碑が、アメリカ本土48州の「おへそ」に建っている。

記念碑には、この地点が本土48州の中心に当たることが記されている。

牛はテキサス辺りからカンサスシティーまで運べば肉牛として高く売れるので、大勢のカウボーイが牛追いをしながら何日もキャンプを重ねて集まってきたという。そうした時代の伝統を残す「カンサスシティー・ライブストック・エクスチェンジ」。現代のカウボーイが畜産取引所に運び込まれる牛を始めとする家畜を競りにかけている。

家畜をオークションによって取り引きする畜産取引所は、お隣のネブラスカ州のオハマ取引所を始め、全国の取引所の値動きに神経を尖らせているようだ。

「オークショナー」とも呼ばれる競売人が、次々と運び込まれてくる家畜を競りにかけていく。

「カンサス・シティー・ストック・ヤード」として親しまれている畜産取引所の現場見学は自由だ。ここでは毎週決まった曜日に競売が行われている。

東隣のミズリー州インディペンデンスから続くサンタフェ街道を見守る「マドンナ・オブ・ザ・トレイル・モニュメント」。コンシルグローブは、この先の西部フロンティアへの出発準備をした町として知られている。

カンサス州は緑豊かな牧場が広がり、家畜がのんびりと牧草を食べている。今日、航空機産業など最先端の企業も州内に増えているが、畜産はやはり重要な産業のひとつだ。

コンシルグローブの町は、事実上のサンタフェ街道の始まりの町といわれている。コンシルグローブの町でみつけたサンタフェ街道を示す石碑。

コンシルグローブに残されている1849年頃使われていた刑務所「パイオニア・ジェイル」。当時の街道ではカウボーイの犯罪が問題になっていたようだ。

サンタフェ街道を西部フロンティアへ向かって出発して行った幌馬車一台が、コンシルグローブの町のメイン・ストリートに展示されている。

1850年から1900年代頃の建物が残る古いアビレーンの町並みに、当時の建物のレプリカなどを建て増して作った「テーマ・パーク」。入場料は、中にある博物館の入口で寄付をするくらいのもの。古い建物を使ったお土産屋やオールド・タイム・フォトなどの店を出しており、どうやらこの収入でこの民間のテーマ・パークを運営しているようだ。

「オールド・アビレーン・タウン」を一周して案内してくれた駅馬車の轍。

1800年代後半の「キャトル・ブーム」に沸いたアビレーンの町並みが今も残っている。

アビレーンも、カンサス、ウィチタ、アビレーンといった畜産取引所の有力な町のひとつだった時代がある。

町のメイン・ストリートがまだ舗装されていないフロンティア時代の町並みも再現。

ここアビレーンで生まれたアメリカ第34代大統領アイゼンハワーの生家が今も残されている。ウエストポイントの陸軍士官学校を卒業した後、第二次世界大戦のヨーロッパ戦線で指令官として名をあげた。その後、共和党から大統領に選出され、2期8年務めた。アビレーンのアイゼンハワー・センター。

アメリカの歴代の大統領は、大統領職を退いた後は、大統領時代の様々な功績を披露する「記念ライブラリー」を自分の出身地に建てる習わしがある。

アビレーンのアイゼンハワー大統領の「記念ライブラリー」。2期8年の間の数々の出来事を写真や記念品で思い起こさせてくれる展示内容だ。

アイゼンハワーは、陸軍士官学校を卒業後、アメリカ陸軍の軍人として数多くの功績をあげて、ついには元帥の位まで上り詰めた人だ。

アイゼンハワー・センターには、1969年に大統領職引退後に使っていたアイゼンハワーの個人オフィス「ゲティスバーグ・オフィス」を再現した部屋もある。

父親が経営していた雑貨店の経営が失敗して店や農地を失うなど、アイゼンハワーの生家はあまり裕福ではなかった。少年時代は中西部の小さな住宅に育ったアイゼンハワーだ。

一般公開されているアイゼンハワー大統領の幼年時代の家の中。この後、アビレーンの地元の高校を卒業し、浪人しながらも北東部ニューヨーク州のウェストポイント陸軍士官学校に入学した。

これも幼年時代の家の居間。第35代大統領のケネディとは全く違う境遇で育ったアイゼンハワー大統領の生涯や大統領としての仕事を振り返るには、アビレーンのアイゼンハワー・センターは格好の場所だ。

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