最後のカウボーイとオレゴン街道

ネブラスカ州の真ん中をまっすぐ西へ抜けていく道が、西部開拓フロンティアの象徴ともいえるオレゴン街道だ。

当時の人々の気持ちが少しでもわかるのではないかと思い、「グレート・プレーンズ」と呼ばれる大平原の中の一本道、オレゴン街道を、キャンピングカーを引っ張って走ってみることにした。

州の中ほど、プラット川がノース・プラット川とサウス・プラット川に分かれるあたりに、「最後のカウボーイ」、バッファロー・ビルの牧場が残されていた。

バッファーロー・ビル(1846-1917)は、本名をウィリアム・フレデリック・コーディといい、幼い頃から射撃の腕と乗馬にすぐれ、名カウボーイとしてその名を知られていた。南北戦争時には、北軍の」スカウト」と呼ばれる、スパイのような危険な任務について活躍、戦後、大陸横断鉄道がひかれた後は、それまで西部の大平原を縦横無尽に走り回っていたバッファローが、鉄道にぶつかるのをさけるため、徹底的なバッファロー狩りを行った。この時の活躍から、バッファロー・ビルと呼ばれるようになったのだ。

西部の開拓が一段落した後、活躍の場を失った彼は、カウボーイの技術をいかし、「ワイルド・ウエスト・ショー」というサーカス団を結成、アメリカ各地はもとよりヨーロッパにまでその名をとどろかせた。その彼が本拠地としていた牧場が、ここネブラスカにあった。彼の自宅が隣接するこの牧場には現在は本物のバッファローが飼育されていて、彼ゆかりの品々や等身大の像などが観光客を出迎えてくれる。15年程前、一度バッファロー・ビルの子孫だという男性に会ったことがある。西部、ワイオミング州のロディオ会場のことだったが、カウボーイハットに白い髭を蓄えた厳めしい顔は、西部の美術館でたびたび見かけるバッファロー・ビルそのもの。この牧場を見たときも、そこに立っているバッファロー・ビルの像と彼の顔がオーバーラップしてしまった。彼がここにいれば、もっと雰囲気がでて、観光客も倍増するだろうに。この牧場のある町、ノース・プラットからオレゴン街道沿いに東へ行ったところのコーン畑に囲まれた農道に面した町、ミンデンには「パイオニア・ビレッジ」がある。

ここはネブラスカ州を中心に、アメリカ全体の歴史をたどり、時代時代の生活用品を展示してある博物館。国として二百年、ネブラスカ州としては百年そこそこの歴史とはいえ、それを作り上げた人々の努力とパイオニア精神がひしひしと感じられるものだった。

バッファロー・ビルの「ワイルド・ウエスト・ショー」は世界中で評判を呼び、本物のカウボーイ達をひと目見たいという、興業の申し込みがあとをったなかったという。

バッファロー・ビルが住んでいた家が、オレゴン街道を西に向かった町、ノースプラットに残されている。バッファロー狩や、南北戦争当時のサーベル、等身大の像なども見える。

南北戦争時の自分の任務を「スカウト」と称していたバッファロー・ビルは、自分の牧場に」スカウト・レスト・ランチ」と名付けた。北軍に参加した彼は、まるで忍者のように、広大なフロンティアを駆け抜けていたのだ。

牧場に隣接する、部屋数が18もある大きな自宅。現在はバッファロー・ビル・ランチ州立歴史公園になっている。

バッファロー・ビルの牧場を訪ねた、現代の幌場車、キャンピングカーも見える。

バッファロー・ビルの牧場には、現在、本物のバッファローが飼育されている。

人口3000人たらずの小さな町、ミンデンにある」ハロルド・ワープ・パイオニア・ビレッジ」。国内でも有数のアメリカ史のコレクションを誇っている。

1930年代のアメリカ人の平均的な生活を再現した展示。

全部で5万点以上の歴史的なコレクション。これは、コールマン・ガソリン・ランプを始めとする家庭で使われてきたランプの歴代コレクション。

デトロイト郊外のフォード・ミュージアムに似ているが、こちらの方がより家庭的だ。

1876年のベル・テレフォン会社の設備を再現した展示コーナー。通常の博物館とは違い、それそれの活躍した環境までもが再現されている。

この地に初めてやってきた幌馬車隊の中の、「チャック・ワゴン」と呼ばれる料理専用の幌馬車。

絵に描いたような床屋。店内も歴史別にわけて保存されている。

コダックのボックス・カメラなど、アメリカでの旅行の歴史とともに展示されている歴代のカメラ。

展示の中には、飛行機の歴史や自動車の歴史もかなり含まれており、見応え十分の博物館だ。

数多い展示物は一日で見きれないほど。そんな人たちのために、隣にホテルまで経営しているのにはおそれいった。

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