ノース・ダコタ州

1803年、当時のフランスを統治していたナポレオンは、フランス領のルイジアナ植民地をアメリカ合衆国に売却する「ルイジアナ・パーチェス」(ルイジアナ購入)という契約を合衆国と結んだ。ノース・ダコタ州は、この時アメリカに渡った土地の一部だ。最初はダコタ準州だったが、一八八九年にサウス・ダコタ州、ノース・ダコタ州と二つの州に分かれ、州として独立。現在に至っている。アメリカ人がノース・ダコタのことを口にするときは、決まって人口のことが話題になる。「あそこには人が住んでいないのではないか」と軽口をたたく人もいる。ノース・ダコタ州は、日本の約半分という広い国土を持つにもかかわらず、人口はたったの65万人。200万頭の牛や38万頭の羊の方が目立つくらいだ。

ノース・ダコタはまた、冬の寒さでも話題によくのぼる所だ。テレビのニュース番組で、この冬一番の寒さが報道されるときは、必ずといっていいほどノース・ダコタの名前が出る。ノース・ダコタは北米大陸のちょうど中心にあたるため、大陸性気候の影響をまともに受けて厳しい寒波に見舞われるのだ。

厳しい冬が通り過ぎると、ノース・ダコタは農作物の産地としてがぜん活気づく。春には春小麦がとれ、大麦は全米第二の収穫量を誇る。その他ライ麦や亜麻の栽培も盛んで、肉牛、羊、豚の飼育も行われている。

月夜の荒野で見た野外ミュージカル

私のアメリカ全土50州制覇を目指した旅は、49州からなかなか先へ進まなかった。ある時思い切ってアラスカへ飛んで49州目にたどり着いた。しかし最後の州のノース・ダコタを訪ねる機会はなかなかやってこない。そうこうしているうちに、アメリカ独立200周年にあたる一九七六年を迎えた。そしてアメリカ合衆国の200才の誕生日にあたるこの年に、ようやくチャンスが巡ってきた。ある民間の財団が、この誕生日を記念して、世界中のジャーナリストの代表にオートキャンプの旅をプレゼントするというのだ。

財団の創立者は「エアストリーム」という高級キャンピングカー・メーカーの創業者。この招待旅行を単なる物見遊山の観光旅行に終わらせるのではなく、財団の特色を生かしたものにするため、同社のキャンピングカー」エアストリーム」を使った旅を企画したのだ。創業者の名前を冠した」ワーリー・バイアム・キャラバン・クラブ・インターナショナル」という長い名称を持つクラブのメンバーのエスコートを得て、一カ月に及ぶオートキャンプの旅が始まった。もちろん私が参加したのは、最後の五〇番目の州を通る「キャラバン・アメリカ」のツアーである。

キャラバン隊がノース・ダコタへ入ると、あたりは地元の人も」バッドランド」と呼ぶところの荒野そのものだった。荒れ地がこの州の観光の目玉なのかと驚いたが、確かにこんな荒れ地は見たこともない。本当に自然そのままの荒れ地なのである。キャンプ地のメドローラの町に入り、砂漠のオアシスさながらの緑を目にしたときはさすがにほっとした。この町の近くには野生のバッファローの群れがいるテオドール・ルーズベルト国立公園があり、荒れ地観光と野生のバッファローがこの州の見所だという。後ろに引っ張っていたキャンピングカーを切り離し、身軽になったところで荒れ地をひと回り。遠くのバッファローの群れをちらっとだけ眺めてキャンプ場へ戻った。

夕食はバッファローと肉牛をかけ合わせたビーファローという肉のバーベキューを堪能した。食後には「メドーラ・ミュージカル」の見物に行くという。このあたりに劇場らしきものはなかったのでは、と思いつつも、何はともあれ案内されるままに出かけてみた。連れていかれたところは、何と昼間に案内されたバッドランドである。この地形を巧みに使って観客席が作られ、谷底のような場所にステージが設営されている。ちょうど劇が始まるころにあたりが暗くなってきた。そしてステージの真正面に月が登って行く。まるでこの月までが劇の演出に参加しているかのようだ。

どこから沸いてきたのかと思うほどの観客が客席を埋め尽くしている。出し物は、アメリカ合衆国がたどってきた200年の歴史と、100年足らずのノース・ダコタの歴史を紹介したミュージカルだった。しかし、月明かりのバッドランドの背景に本物の月を配するなど、ニューヨークのブロードウェイの名演出家でもできないようなこころにくい演出ではないか。

どこまでも大平原が続き、いつまでも左右の景色がまったく変わらないノース・ダコタを走っているときには、あのバッドランドの一夜のすばらしい記憶が何か楽しい思い出となって脳裏をよぎるのだった。

ノース・ダコタ名物の「バッドランド」。州の西部には、文字どおり荒野のままの自然の広がる。

地平線のかなたまで平坦な土地が続くノース・ダコタ州。高速道路のインターステイト94号線が州内を東西に横切っている。この道路を東へ向かった。このほか、ノース・ダコタ州では、ミネソタ州との州境の近くを南北にインターステイト29号線が走っている。

テオドール・ルーズベルト国立公園内でも、「バッドランド」が大切に保存されている。

バッドランドで出会ったライダーのカップル。彼らは50州走破の夢を持っているという。

テオドール・ルーズベルト国立公園で見つけた巣の材料を運ぶ「プレイリー・ドッグ」。

バッドランドの地形を上手に使ってメドーラ・ミュージカルの観客席が作られていた。人口がたったの94人という小さな村で、夏の間だけとはいえミュージカルが開催されていることだけでも驚きだった。全米からノース・ダコタを目指してドライブ旅行をする人は、必ずこのメドーラのミュージカルを見ていくようだ。

メドーラ・ミュージカルの舞台の上に、荒野を照らすように月が登ってきた。

舞台は、アメリカ200年の歴史をミュージカルで表現していく。

このノース・ダコタの小さな村での出来事が紹介されていく。

ちょうどすり鉢状になった場所の一番下に舞台が設営されており、観客席は周囲の自然の丘を利用して作られている。月明かりの中、自然のままに広がる荒野の大平原を使ってフロンティア時代の西部が表現されている。その西部が次々と開拓されていって現在に至る姿を描いたミュージカルに、これ以上の背景があるのだろうかと感心した。

毎年、オーディションを受けに、全国から大勢の人がやってくるのだという。

野外ステージと思えないような臨場感は素晴らしいものだった。

ミュージカルの後は、昔ながらのカウボーイが集まる村のバーで一杯。

ミュージカルの翌日はキャラバン隊とともに、どこまでも平らな平原を東へ東へと進んだ。ノース・ダコタは、春小麦、大麦、ライ麦などの主要産地のひとつだ。

どこまでも平坦かと思いながら望遠レンズを覗くと、実はそれぞれの農地には違いがある。

州東部のジェームスタウン付近の農場では、麦畑が刈り入れ時期に近づいていた。

ジェームスタウン付近には、州西部のバッドランドの荒野とは違い、様々な農産物の収穫地が続いている。太陽をさえぎるものがない平坦な土地には麦畑が広がり、その間にはひまわり畑もある。

州北西部タイオガ付近で、1951年に油田が発見され、ノース・ダコタは石油の産出州になった。また石油のほかにも、リグナイトと呼ばれる石炭も産出する。

大麦の生産では、アメリカ第2位を誇る。州東部ジェームスタウン付近の農場で。

冬の寒さがまるでうそのような、のどかなノース・ダコタの大平原を、西から東へ横断した1週間だった。想像していたよりも豊かな農地が続き、緑の美しい牧場では家畜もよく育っているようだ。この次、ノース・ダコタ州を訪ねる時は、真冬の寒さでも体験してみたいなどと思ったりもした。

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