アイオア州

東側はミシシッピー川、西側はミズリー川と、東西を川にはさまれたアイオワ州は、長年にわたって、川によってつくられた肥沃で平坦な土地と豊かな水源を生かした,農業が盛んな州。産業といえば農業しか考えられないほど農業一色といった感じだ。

長年に渡って全米一のコーンの生産量を誇こるアイオワ州では、このコーンをもとに行われる牧畜業、ポップコーンの生産などが農業の中心だ。砂糖、コーンスターチ、コーンオイル、アルコールなど食用のほかに、プラスチック、タイヤの原料にもなるコーンはいくら大量に生産されても、いくらでもその使い道がある作物なのだ。

しかし、「農業の州」といわれるアイオワも、それに付随する産業が全くないというわけではない。

州全体に広がる農地の中でも有名な、州東部に広がる「アマナ・コロニー」。ここではコーンの生産はもちろん、果樹園でつくられるワイン、豊富な森林を生かした木材や家具、牧畜業では、ウール、ソーセージ、なども大量に生産されている。そして、このソーセージを冷凍して全国出荷するための冷蔵庫や、調理する電子レンジなどの家電産業が、急速にで発展してきたのだ。

工場といえば、コーンを加工するためのものしかなかったアイオワ州も、最近になって、少しずつ様子がかわりつつあるようだ。

農業王国、アイオワ州

まだ学生の頃、「本当の大平原というのは、一日中車で走っても景色が全く変わらないようなところをいうのだ」という話を聞いたことがあった。その後、私が実際にそんな体験をしたのはアイオワ州でのことだった。

ある時、ミネソタ州のツイン・シティーからアイオワ州の州都デモインに向かって走る機会があった。朝、高層ビル街を後に出発、郊外の住宅地を抜けてまもなく、まっすぐのびた道の両側に突然、車の高さと同じくらいのコーン畑が出現した。大平原といっても車の窓から見えるのは、間近にせまってくるぼうぼうに繁ったコーンばかり。それがお昼を過ぎ、やがて日が西に傾きかけても全く同じ景色だ。日本にいては決して信じられない光景が延々と続いていく。

アイオワ州に入って、ますますその密度が深くなっていく。前にも後ろにも、そしてすれ違う車さえもない。最初はおもしろがっていいた私もいい加減飽きてきたころ、みえてきたのが、アイオワ・ステイト・ユニバーシティという高速道路の出口の標識。気分転換がしたかった私は、その出口で降りてみた。そのキャンパスも、だだっぴろい平坦な土地にずらっと横長のもの。パノラマカメラを用意してくれば良かったと思いながらもなかなかアングルが決まらない。それでも朝から見続けた景色とは違うものを見ることができて、眠気も飛び、再びあの景色に飛び込む元気がでてきたのだった。

高速道路に復帰して数時間後、デモインの標識が見えてきたときには本当にうれしかった。なんだか砂漠を何日もかけて抜けてきたラクダのキャラバン隊の気持ちがわかったような気がしたのだ。

州議事堂の前に、姉妹都市である甲府市から送られたという日本の鐘つきのお堂が建っている州都ディモインで、親日家で知られ、90才を越えた当時も、「ベター・ホーム・アンド・ガーデン」という雑誌の編集長をしていた元気なおばあさん、ハッテンロッカー夫人を訪ねた。

日本の華道の師範の免許を持ち、毎年秋にはお月見のパーティーを開くという彼女の自宅には本格的な「茶室」まであったのだ。

丸一日、退屈なドライブを続けてで疲れ果てていた私には、彼女の家はまさしくオアシスそのものだった。

州議事堂の正面の、甲府から贈られた鐘。

どこまでも続くコーン畑の中にぽっこり現れたディモインの市街。高層ビルもある目抜き通り。

アイオワ州議事堂。1871年に建てられ、中央のドームは金箔制。1階は裁判所、2階は議会になっている。

州内を南北に抜ける高速道路がインターステイト35号線、東西に抜けるのが80号線。この2本の高速道路が交差するところに州都のディモインがある。80号線は、サンフランシスコとニューヨークを一本に結ぶ、アメリカ大陸横断道路の大動脈だ。

ディモインのハッテンロッカー邸。3階の屋根裏部屋に、日本の茶室があった。

ディモインを代表して、甲府を訪れることもあるという、ハッテンロッカー夫人。

ビクトリア調の建物のまわりは、日本庭園の雰囲気を強く感じさせるもの。

秋には、日本文化を知ってもらおうと、お月見のパーティーが開かれる。

アイオワ州の農村地帯を抜ける高速道路では、変化のある風景を探すのが大変だ。ここはコーンの生産でも大豆の生産でもアメリカ一の地方だ。

食料になったり、家畜の飼料になったり、化学工業に使われたりと、用途の広いコーン。

アイオワのおいしいコーンで育つ肉牛はおいしいと評判だ。ディモイン郊外の牧場で。

ディモインの代表的な観光名所は、州内の4つの農家を再現した「リビング・ヒストリー・ファームス」だ。

リビング・ヒストリー・ファームスには、1700年代のインディアンの農場生活、1850年代の開拓者達のログ・キャビンの生活、1900年代の馬を使った農耕生活が再現してあった。1875年頃のワルパット・ヒルの町全体を移築したものもある。

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