もうひとつのツイン・シティー、セントポール

ツイン・シティーと呼ばれる都市は数多くあるが、たいていは同じ名前の都市をいう場合が多い。ところが、ミネアポリスとセントポールの場合は、ミシシッピー川をはさんで政治の都市と商業の都市が存在するもの。さしずめ、東京と大阪が川ひとつへだててあるようなものなのだ。

商業の都市ミネアポリスの双子の兄弟で、ミシシッピー川の東側に位置する政治の都市セントポールは、ミネソタ州の州都でもあるのだが、ミネアポリスと比べると、なんとなく陰に隠れてしまう。しかし、地元の人は双子都市、ミネアポリスへのライバル意識を持ち続け、なんとか都市としての特色を作ろうと努力している。

ミシシッピー川とミネソタ川の合流地点にあるこの町は、1807年にフォート・スネリング砦が築かれた事から、その歴史が始まったといわれている。そしてなんと、当時の名前が「ピッグズ・アイ」。どう考えても都市として発展が望まれるような名前ではなかった。そこで1841年に、町に最初の教会ができたのをきっかけに、キリスト教の聖人の名前をもらって、セントポールという名前にかえたのだ。

この様に名前の由来からしてキリスト教との関わりが深いこの町では、州議事堂と、それに負けないような大きなドームを持つ大聖堂、ローマン・カトリックのカテドラル・オブ・セント・ポールが町の2大シンボルとなっている。飛行機からセントポールの町を見ると、町の中心に白亜に輝く州議事堂と、青銅色に輝く巨大なドームが、カップルのように見えるのだ。第二次大戦後は、同じくキリスト教との関わりが深い、日本の長崎市との姉妹都市になっている事も有名だ。

またここセントポールは、その立地条件の良さから、この地方の河川交通の拠点として古くから栄えていた所。そしてそれに目をつけて、鉄道交通の全盛時代にアメリカのすべての交通網を傘下に治めようとしていた、グレート・ノーザン鉄道の本社が置かれた土地でもあるのだ。

ある時、そんな時代に鉄道の線路の両側の広大な土地を買い占め、現在でも所有しているという人の家を訪ねる機会があった。地平線のかなたまでが自宅の庭だという彼の家は、庭の手入れ用の芝刈りは大きなトラクター、もちろん中にはゴルフ場もある。敷地内にはミネソタに数ある湖の中の一つもあって、そこへ野生の鹿が水を飲み来るというスケールは、アメリカの広さを一きわ感じさせるものだった。

空から見たセントポール市街。大きな白亜ドームのある建物が州議事堂。もう一つ青銅色のドームを持つのが、カテドラル・オブ・セントポールだ。

ミネソタ州の州議事堂は、手狭になるたびに何度も立て直されて、現在は3代目。1902年の完成だ。

州議事堂のドームの下の建物の上には、ミネソタ州の政治のシンボルである金色の彫刻が見える。その脇がセントポールのオフィス・ビル街。遠くに見えるのがミネアポリスのオフィス・ビル街。

お隣ミネアポリスに大きな製粉会社がある事もあって、セントポールは全米有数の小麦の産地でもある。ミシシッピー河畔に並ぶグレーン・エレベーター。

「3M」として親しまれているミネソタ・マイニング社は、セントポールに本社をおいている、ミネソタを代表する企業の一つだ。

冬はクロスカントリーやアイスホッケー、夏はマラソンやカヌーと一年中スポーツが楽しめる。

鉄道時代の交通の町として栄えた伝統は、ノースウエスト航空の本社の町として受け継がれている。本社修理工場で。

ローマン・カトリックの大聖堂、カテドラル・オブ・セント・ポールは、熱心なキリスト教徒の多いセントポールのシンボルだ。1915年に建てられた、高さ53mの巨大なドーム。

ミネアポリスと同じく寒さの厳しいセントポールでも、「スカイウェイ」網はできあがっている。巨大な室内遊園地もある、「タウン・スクエア・パーク」は、市民に人気。

夏のセントポールの人々は、冬の厳しい寒さを忘れて、できるだけ野外で過ごすことにしている。ミシシッピー河畔の小公園では、野外のシェークスピア劇が上演されていた。

州都セントポールは、8月の終りから9月の始め頃に開催される、ステイト・フェアの会場でもある。ホース・ショーの会場で。

交通の町セントポールは、交通事故防止にも力をいれているようだ。

セントポールのフェアグランドで開催されたステイト・フェアのだしもの。

地平線のかなたまで自分の家の庭だという。アメリカの広さを再確認した訪問だ。

庭にはゴルフ場もある。ここなら後ろから追われる心配もなく、伸び伸びとプレーを楽しめる。

本物のゴルフ場と同じような芝刈り機でないと、庭の手入れも間に合わない。

この池も1万以上あるミネソタ州の湖のひとつだろうか。庭には野生の鹿や、渡り鳥もやってきたりして、ミネソタの自然がそのままにある。

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