ツイン・シティー、ミネアポリス

始めてミネアポリスを訪れた時のこと。ウィスコンシン州からミネソタ州を目指して走っていたら、突然ミネアポリスの文字が道路標識から消えてしまった。まわりは延々と続くコーン畑で、とても到着したとは思えないし、分かれ道の標識も見落としているはずはない。車を止めて、地図と案内標識を確かめたのだが、標識にはミネアポリスの文字はなく、地図には出ていない「ツイン・シティー」という都市の案内ばかりなのだ。狐につままれた面持ちで、ミネアポリスがあるはずの方向に進んでも、出てくるのは「ツイン・シティー」という案内ばかりだ。

なんとか無事到着したミネアポリスだったが、結局道路標識は最後まで出てこない。なぜだろうと思って町の人に聞いてみると、地元では、ミネアポリスと、ミシシッピー川をはさんで向こう側にあるセントポールの二つの都市をまとめて、ツイン・シティーと呼んでいるそうだ。川沿いの高層ビルの感じがまるで双子のような二つの都市の呼び名は、地元の人達にとっては、こっちのほうがずっとポピュラーらしいのだ。それで州のハイウェイ・デパートメントの標識の担当者も、何の疑問もなく、「ツイン・シティー」という表示を使っていたわけだ。ミネソタ州に入ったとたんにミネアポリスの文字が消えてしまった理由がやっとわかったのだった。

ツイン・シティーの片割れミネアポリスは、ミシシッピー川の西側に位置し、周辺諸州の商業の中心地。訪ねるたびにどんどんモダンに変身していく所だ。また、カナダとの国境に接するこの土地は、冬の寒さが厳しく北欧系の人でないと住みつくことができないともいわれている。

町の中心を走るニコレット・モールは、一般の自動車を締め出した、一方通行の道路。歩道が広くとってあり、あちこちに広場のような公園が作られている。そのせいで、真っ直ぐの道路のはずが、上から見るとまるでミシシッピー川のようにぐにゃぐにゃと曲がりくねって見えるのだ。寒い冬の間、あまり外に出ることができない市民が、短い夏に外で過ごす時間を楽しくしてあげようという、町側の努力の結果だ。ここでは、町側は住民達の生活に直結した町造りを心掛けているようだし、また住民の方も、フロンティア精神にとんでいて、自分たちの住んでいる町を自分たちの手で開発していこうという気持ちが強い。街角のウォール・ペイントなども住民自らの手で行われたりもしているのだ。

ミネアポリスの町は一歩外へ出ると、コーン畑が続いているところだ。そんなコーン畑の真ん中に、フロンティア時代の面影を残す、ノースフィールドの町がある。学生数がそれぞれ2000人、3000人という、カールトン・カレッジと、セント・オーラフ・カレッジという二つの大学を持つこの町には、フロンティア時代の銀行の建物がまだ残っていた。

フロンティア当時の建物も大事に保存され、そしてその精神も、立派に受け継がれている町、それがミネアポリスだ。

訪れるたびに新しいビルが増え、発展し続けるミネアポリスは、現代のフロンティアを感じさせる所だ。ミネソタ州から西、カナダとの国境に並ぶ諸州の中心都市でもある。

ミネアポリス市のシンボル的存在のIDSビル。ニコレット・モールの歩道から建物にはいると、そこにもう一つの市民広場が広がっていた。冬の間はここが市民の憩いの場所になるのだ。

ニコレット・モールの脇にそびえるIDSセンタービル。2階の部分がとなりのビルを始め、町中のビルと渡り廊下のようになってつながっている。

IDSセンター・ビルの屋上から。ビルの設計一つも、都市全体の機能を考えた上で行われているという。

ミネアポリスは、美しい都市であるということを意識して、常に努力を続けているところだ。

冬の寒さは日本では想像できないほどの厳しさだ。ビルも保温性は暖房機能に十分注意して建設されている。

ミネアポリスのシンボル、ニコレット・モール。夏の間ここでは、地元のシンフォニー・オーケストラのコンサートや、フォーク・コンサート、ボート・ショー、アンティーク・カーのショーなど、たくさんのイベントが行われる。

ニコレット・モールを中心とするミネアポリスのダウンタンのビルは、「スカイウェイ」システムによって結ばれている。冬の寒さの厳しいこの土地ならではのアイデアで、どこかのビルに駐車すれば、外へ出ることなくほとんどのビルへいくことができるのだ。スカイウェイから下のニコレット・モールが見える。

ミネアポリスの若いビジネスマンたちが、仕事帰りに必ず立ち寄って一杯やる、「シングルス・バー」。寒い冬を乗り越えるにはお酒が一番なのかも。

「ベティー・クロッカー・キッチン」のある製粉会社、ジェネラル・ミル社。

ミネアポリス発祥の地といわれる、セント・アンソニー地区。

ここでは一般市民が立ち寄りたくなるようなビルを作るのがコツ。ルーセラン・ブラザーフッド・ビルのロビーに並ぶ彫刻。

この地方の寒さに耐えるためには、北欧の血が入っていないと無理かもしれない。北欧系のトンプソン教授夫人。

この町の文化を代表するのは、このミネアポリス・インスティテュート・オブ・アートと、世界的に有名なガスリー・シアターがあるウォーカー・アート・センターだ。

ミネアポリス大学のトンプソン教授は、自分のような北欧系の人間には、この土地が一番生活しやすいと言っていた。

美術館内のレストランで昼食をとるのが最新のファッション。ミネアポリスのビジネスマン。

シュミット音楽センターの駐車場に面した殺風景な壁には、ラベル作曲の「夜のガスパール」の楽譜が描かれていて、周囲を明るくしていた。

カールトン・カレッジと、セント・オーラフ・カレッジのあるノースフィールドの町。ここはジェシー・ジェームスが銀行強盗を働いた銀行跡。

この銀行強盗の失敗で、アメリカ西部フロンティアの無法者の時代が終りをつげたのだ。

ミネアポリスから南、コーン畑を進んだところのロチェスターの町には、健康診断で世界的に有名なメイヨ・クリニックがある。

1876年当時のまま残された、ノースフィールド銀行の金庫室。

ノースフィールドのリベラル・アート大学、カールトン・カレッジ。ここは1866年に創立された、中西部を代表する名門校だ。

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